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<本文から>
「ただお代官様の言うことを承ってこい、と言われました。したがって、家に戻って、父から返事をさせます」
これを開くと、今までニヤニヤと笑いながら、上目づかいに栄一の顔を見ていた代官が、突然形相を変えた。そして、今度はさらに居丈高になって、
「名代というのは、当然、父親の権利を与えられて来ているはずだ。家に戻って相談をするくらいなら、代理とはいえない。この場でお受けしますと返事をしろ」
と言った。栄一は、屈しなかった。そして、
「どのように仰せられましても、すぐお受けするわけには参りません」
脇でハラハラしていた他の二人は、しきりに栄一の着物の袖を引っ張って、
(承知しろ。後がやっかいなことになる)
と目で、合図した。栄一は首を振り続けた。代官は呆れて、
「貴様のような頑固者は見たことがない。早々に立ち帰って、父親と相談をしてすぐ返事を持ってこい」
憎々しげにそう言った。
「是非、そうさせていただきます」
一歩も引かずに、栄一は頑張りとおして陣屋を出た。他の二人が追いかけてきて
「栄一さん、やっかいなことになっても知らないよ」
と言ったが、栄一は、昂然と二人を見返した。栄一は、この時のことをこう述懐したそうだ。
「個人の財産は、個人に所有権があるのであって、他人がどうこうすることはできない。また、人間の世の中で大切にされるのは、賢いか愚かかだ。にもかかわらず、今の徳川幕府の制度では、ただ武士であるということがすべてに優先して、もともと返す気のない金を、御用金などといいながら、強制的に民から取りあげている。しかも、その態度が傲岸不遜で、金の出し手に対しても礼をつくさない。しかし、あの代官を例にとれば、あの代官は実に愚かな男で、ただ威張ることしか知らない。一体、こんな人間が御用金を出す人間を軽蔑していいということは、徳川の士農工商とい与商人や経済をバカにする政治から生まれている。あの代官のような、虫けら同然の人間から、ただ農民だというだけでバカにされるのはたまらない。このうえは、一日も早く農民をやめることだ」
この時点での栄一の「農民をやめることだ」というのは、そのまま「武士になることだ」ということだろう。家に戻って、栄一は、散々代官の悪口を言った。しかし、父は、首を振って、
「昔からよくいわれる、泣く子と地頭にはかなわないというのは、このことをいうのだ。御用金は引受けよう」
と言った。しかし、栄一は諦めなかった。かれは、この日の出来事を自分の「一大転機」ととらえた。渋沢栄一の生き方は、この日を境にして、大きく変わっていく。かれは激しい尊皇攘夷志士に育っていく。 |
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