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<本文から>
だから小関家のほうでは娘(=母)が死ぬと同時に、利右衛門(父=)の追い出しをはかったのではなかろうか。
こういうゴタゴタを、少年三治郎(=伊能忠敬)は、じつと見守っていた。少年の心にけっしていい痕跡を残しはしない。一生消えることのない傷跡を残したのに違いない。そういう暗い経験をした。
しかし、朔風(北風) に耐えて樹木は根をしっかり張るように、人間も逆境に耐えてこそ鍛えられるのだ。
しかも、その逆境もそう長く続くものではない。
ゴタゴタの果てに、利右衛門は、当時四十二歳だったが、ついに小関家を去った。このとき、上の子は二人とも連れて出た。なぜか三治郎だけが残された。おそらく三治郎は、
「自分も連れていってほしい」
と父利右衛門の袖にすがって頼んだはずだ。ところが利右衛門は首を振り、
「おまえだけはここに残るのだ」
と突き放した。これがまた三治郎の心に暗い傷跡を残したことは言うまでもない。その後、三治郎は、小関家で家業である漁業の手伝いなどをさせられた。そんな三治郎の暮らしを風の便りに聞いて、さすがの父利右衛門も哀れに思った。三治郎が十一歳になったとき、
「家に戻ってこい」
と連れ戻しに来た。三治郎は喜んで父の後をトコトコとついていった。
ところが、小堤村の神保家に戻ってみると、父はすでに後妻を迎えていた。複雑な境遇を経験してきた三治郎を、後妻は必ずしもいい顔をして迎えなかった。三治郎は神保家を飛び出して、親戚の家を渡り歩いた。そんなあてどのない根無し草のような生活を少年三治郎は送り始めていたのである。
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