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<本文から>
「明治維新の震源地は、長州と水戸だ」
と、よくいわれる。その両津の震源地におけるマグマ的存在は、長州においては吉田松陰、そして水戸においては藤田東湖だった。自分の藩だけでなく、全国的に当時の青年たちに与えた思想的影響がかなり大きい。
そして、じつをいえは吉田松陰も藤田東湖の門人だった。そうなると、
「明治維新の思想的震源地は水戸だ」
ということになる。では全国の志士と呼ばれる青年たちは、水戸から何をまなんだのだろうか。
いうまでもなく、
「尊皇倒(討)幕の精神」である。
水戸学の根本になっているのは、「大日本史」だ。「大日本史」は、元禄以前から第二代藩主徳川光園(俗に黄門といわれた人物)が編纂しはじめた。明治三十九年(一九〇六)にいたって、やっと完成する膨大な歴史書である。ただし、不思議なことにこの歴史書を今日、活用する人々はあまりいない。が、幕末時における「水戸学」の勢威ほすさまじかった。
が、この 「大日本史」 から、
「尊皇倒幕の精神」
を導き出すことには、じつは無理があった。というのは、編纂をはじめた徳川光圀ほか、編纂史局であった彰考館の学着たちも、この 『大日本史J で説きつづけたのは、
「専皇敬慕の精神」
だったからである。
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