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<本文から>
「謙言は一番槍よりも難しい」
といっていたからだ。その意味は、
「一番槍は、まっしぐらに突き進む勇気さえあれば誰でもできる。しかし諌言はそうはいかない。というのは、諫言する者の心根に賤しい根性があると、そのことが気になってたとえどんなにいい夢見をいったとしても、しこりが残る。つまり諫言をした者は、本当に自分は純粋な動機で意見をいったのだろうかと反省する。そして、諫言によって見出され、立身出世しようなどという魂胆のあった話は、自分を責めるようになる。そうなると、主人に意見したことを後悔するようになる。あんなことをいうのではなかったとか、あるいはいい過ぎたのではないかなどと悩む。そうなると、城に出てきても態度がおどおどしていて、端の眼にも奇妙なものに映る。主人も気がつく。おどおどした諫言者を見ていると主人も、あのときの夢見は真心から出たものでなく、計算ずくだったのかと疑うようになる。両者の関係は次第にギスギスしてくる。そうなると、諫言した者も城に出にくくなり、ついには病気だと嘘をついて休むようになる。主人もことさらにその人間を気にするようになり、やがてはその人間の顔を見るのが嫌になる。結局は、重役に命じて、諫言した者をどこか遠くへ異動させるようになる。こういうことを考えると、諫言というのは一番槍よりも難しい」
現代でも通用するような屈折した解釈だが、諫言する者とされる者との心理関係をよくいい得ている。さすがに子ども時から十数年も人質となり、他人の家で冷や飯を食っただけあって、家康の人間洞察力はさすがだ。 |
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