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<本文から>
花と実をバラバラにするというのは、一言でいえば権限の独占をさせないということだ。つまり権限の集中化をセーブするということである。家康が行ったのは、「政策立案権限は、依然として父である前将軍家康が持つ。江戸のフォーマルな幕府は、あくまでも実行機関に徹する」
ということにした。彼はこの理念を実行するために、
「権限を持つものの給与は安く抑える」
「給与の多いものには、権限をもたせない」
という方式をとった。そしてこの方式によって分けた大名のうち、幕府の老中をはじめ諸役職につけるのはすべて譜代大名や直参である旗本にかぎった。
外様大名はどんなに給与が多くても一切幕府の仕事はできない。加賀百万石、島津七十万石、細川五十四万石などという大きな大名も、幕末まで絶対に幕府の役職につくことはできなかった。
一方、老中とか若年寄、大目付、あるいは諸奉行などのポストにつく大名や旗本の給与は、いたって低い。せいぜい十万石程度で、普通は五万石か六万石の大名がこのポストについた。家康の「分断策」は、最後まで守られたのである。
いってみれば、これが家康が戦国時代に経験したもろもろの「危機」を切り抜けるための巧みな「背理方法」だった。 |
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