童門冬二著書
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     国際人・廣瀬武夫 海軍中佐・ロシア駐在武官補佐官

■廣瀬武夫の外交は誠実さを貫くこと

<本文から>
 武夫がこれらの躾や教育や指導の中から自分なりに生んだ性格のひとつが「誠実に生きる」
ということである。違う言葉でいえば
 「絶対にウソをつかない」
 ということだ。勝海舟(一八二三〜九九)が明治になってからの思い出で、「外交は、誠実の二字に尽きる」といっている。廣瀬武夫は、ロシアにおける外交をすべてこの、
 「誠実さを貫く」
 ということで終始している。この誠実さは前に書いた「恕の精神と忍びざるの心」を含んでいるから、相手はたちまち武夫を信頼する。ロシア時代、家族同様につきあったロシア人の二家族の武夫への信頼と優遇は、まさに武夫の、
 「絶対に人を騙さない」
 という誠実な精神に胸を打たれたからだ。両家の娘が、心の底から武夫を慕うようになったのも、この人柄に胸を打たれてのことである。武夫はかなり早くからロシア語を学んだ。それは、
 「やがてロシアは日本の敵になる。両国間に戦争が起こる」
 ということを予知していたからだ。しかしかれはその仮想敵の国に滞在しても、決して周囲の人びとを憎むようなことはしなかった。両家のうち一家は、高級軍人の家庭だ。武夫は足繁く出入りした。しかし、
 「この高級将校から、ロシアの情報を得よう」
 などという汚れた気持ちはまったくない。純粋に、
 「人間対人間の交流」
 を行なったのだ。いまでいう異国間の市民交流″である。かれは誠実な人間だから、敵情を知るためにも、
 「必ず自分の眼でみる。それには体験する」
 ということを重んじた。ロシアにいたときでも、かなり他国にもおもむき、自分の足で歩き、眼で確かめ、耳できいている。駐在を終えて帰国するときも、ロシアの極東情勢を探るため危険をおかして厳冬のシベリア経由で帰国している。かれの予測どおり、その後起こった日露戦争の間においても、かれに接したロシア人は決してかれを憎むことはなかったのではなかろうか。むしろ、
 「虞瀬と戦うことは不幸だ」
 と思ったにちがいない。
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■ロシア人は廣瀬武夫の中に″日本の武士道″を発見

<本文から>
 廣瀬武夫から現代の私たちが学ぶことはいったい何だろうか。ひとつは何度も書く「恕の精神・忍びざるの心」によって成立する「他者へのやさしさと思いやり」である。「相手の身になってものを考える」ということは、いまもっとも必要な心がまえだ。そして、それにはある程度の「自制」が必要だ。武士道はすでに古いといわれるが、武士道は、
・誠実(ウソをつかない)
・実行(学んだことは必ず実行する)
・不言(失敗しても決して言い訳はしない。潔く、その責任を負う)
・自己評価しない(自分で自分の功績を誇大にいい立て、他からの褒め言葉を求めない)
・努力続行(さらに前へ進んでいく)
 などである。決して古めかしい要素ではなく、現在の日本人にとっていちばん必要なものではなかろうか。廣瀬武夫が滞在していたころのロシアには、″騎士道″があった。心あるロシア人はおそらく廣瀬武夫の中に″日本の武士道″を発見し、それを自国の″騎士道″に照応させたのにちがいない。国際交流も結局は「誠と誠の交流」なのである。その根源もまた「相手の立場に立ってものを考えよう」という「恕の精神・忍びざるの心」の発揮にほかならない。
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