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<本文から> 武夫がこれらの躾や教育や指導の中から自分なりに生んだ性格のひとつが「誠実に生きる」
ということである。違う言葉でいえば
「絶対にウソをつかない」
ということだ。勝海舟(一八二三〜九九)が明治になってからの思い出で、「外交は、誠実の二字に尽きる」といっている。廣瀬武夫は、ロシアにおける外交をすべてこの、
「誠実さを貫く」
ということで終始している。この誠実さは前に書いた「恕の精神と忍びざるの心」を含んでいるから、相手はたちまち武夫を信頼する。ロシア時代、家族同様につきあったロシア人の二家族の武夫への信頼と優遇は、まさに武夫の、
「絶対に人を騙さない」
という誠実な精神に胸を打たれたからだ。両家の娘が、心の底から武夫を慕うようになったのも、この人柄に胸を打たれてのことである。武夫はかなり早くからロシア語を学んだ。それは、
「やがてロシアは日本の敵になる。両国間に戦争が起こる」
ということを予知していたからだ。しかしかれはその仮想敵の国に滞在しても、決して周囲の人びとを憎むようなことはしなかった。両家のうち一家は、高級軍人の家庭だ。武夫は足繁く出入りした。しかし、
「この高級将校から、ロシアの情報を得よう」
などという汚れた気持ちはまったくない。純粋に、
「人間対人間の交流」
を行なったのだ。いまでいう異国間の市民交流″である。かれは誠実な人間だから、敵情を知るためにも、
「必ず自分の眼でみる。それには体験する」
ということを重んじた。ロシアにいたときでも、かなり他国にもおもむき、自分の足で歩き、眼で確かめ、耳できいている。駐在を終えて帰国するときも、ロシアの極東情勢を探るため危険をおかして厳冬のシベリア経由で帰国している。かれの予測どおり、その後起こった日露戦争の間においても、かれに接したロシア人は決してかれを憎むことはなかったのではなかろうか。むしろ、
「虞瀬と戦うことは不幸だ」
と思ったにちがいない。 |
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