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<本文から>
彼の家は、彼が少年時代に大きな洪水に襲われた。そのため持っていた田畑の土が全部水に流され、代わりに石がゴロゴロ転がるようになってしまった。土の畑が石の畑に変わってしまったのである。このため金次郎の家は、極度の貧窮に陥った。
そんなある日、金次郎は、荒れ地と化した石の田の中に、小さな水たまりを見つけた。ちょうど田植えの時期だった。
付近には流されなかった幸運な田を持つ農民もたくさんいた。農民たちはせっせと田植えに励んでいた。しかし田植えは、用意した苗を全部植えつけるわけではない。余りが出る。そういう苗の余りが田と田の間の道に捨ててあった。それを発見した金次郎は、田植えをしている農民にいった。
「この苗はいりませんか?」
「いらないよ。そのぶんまで植えるほどの土地がない」
「では、もらってもいいでしょうか?」
農民はこっちを向いた。
「かまわないけど、どうするんだい?」
「田植えをします」
「田植えをするといったって、おまえさんのうちは、田がみんな流れてしまったじゃないか。どこへ植えるんだ?」
「石ころの田の中に、ちょっとした水たまりができました。そこに植えてみようと思います」
「なるほど、金次郎さんらしいな」
農民は笑い出して、「いいよ、持っていきな」といった。
稲の苗をもらった金次郎は、発見した水たまりに丁寧にそれらを植えた。そして丹精に育てた。一日に一度は必ず見にきた。
水たまりはやがて干上がり、カラカラの土に変わった。金次郎は、乾いた土に水をやり、肥料を与えた。稲は育った。夏になると、そんな小さな場所にも雑草が生えた。金次郎は丹念に雅章を抜いた。
彼は、(目の前に起こっていることを、丁寧に一つずつ、かたをつけていくことが大切だ)と思っていた。それは、「どんな小さなことでも、努力して積み上げていけば、やがて大きな成果を生むだろう」
ということであった。つまりそれが、(いまの自分にできる、−番大切なことなのだ)という気がまえを生んだのである。
秋になった。稲は実をつけた。見事な穂が頭を垂れた。金次郎は喜んだ。穂を刈ると、一升あまりの米が得られた。彼は感動した。
そこで彼は、米を半分持って農民のところに行った。
「ありがとうございました。あの苗でお米ができました。半分をお礼に持ってきました」
「なんだって?」
農民は驚いて家族と顔を見合わせた。そして金次郎を見返し、
「あの稲の苗で、米がこんなに取れたのか?」
「はい、一升取れました。ですから五合お礼に持ってきました。稲の苗をいただきましたので、種籾でお返ししたいと思います」
彼はのちにこういっている。
「たとえ千里の道でも、一里歩くことから始めなければダメだ。一里歩かなければ、千里には到達できない」 |
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