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<本文から>
二宮金次郎の見直しが始まっている。金次郎は専徳といわれ、″報徳″の教えを実行し続けた。報徳の教えは、
・分度
・勤労
・推譲
などの柱によって組み立てられている。分度というのは、
「自分の分限を知って、収入に見合った支出を考えることだ」
といわれる。しかし、金次郎にいわせれば、
「今日一万円の収入があったからといって、一万円全部を使ってしまうのはトリやケモノと同じだ。人間はそこで倹約をしなければならない。一万円の収入があったら、八千円の支出で我慢するようにしなければならない」
そうすれは二千円余る。余った二千円はどうするか。
「せっかく余らせた金も、欲望に従って別なことに使ってしまうのも、やはり人道ではない。つまり欲望というのは天の理なので、人道はこの金を自分のために明日に延ばし (金次郎はこれを譲るという言葉を使っている)、明後日に延ばし、さらに来月に延はす。あるいは来年に延ばす。しかもその延はし方も、自分のためではなく他人のため、地域のために延はせば、これは立派な推譲の精神といっていい」
といっている。そうしてこの推譲が実現されれば、その推譲を受けた側が、
「この恩に報いなければならない」
という報徳の精神がわくと説く。
ここでも、分度を設け倹約し、その余らせたものを他に譲るという考えの中には、「天の理に背く人道の理がある」と、人間の意思学童を説く。 |
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