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<本文から> かれの弟子たちに対する教授方法もいろいろユニークなエピソードが残っている。
ある時、かれの説が仏教を否定しているというので、あるお坊さんがやってきた。そして、篤胤に論争を吹っかけた。篤胤はちょうど書き物をしていた。
「論争はいたします。しかし、わたくしは忙しいので書き物の筆は止めるわけにはいかないのです。どうぞ、あなたのいいたいことをおっしゃってください」といった。面白いので、門人たちがグルリとお坊さんを囲んだ。お坊さんは、自分の考えを話しはじめた。しかし、興奮しているので、その日全部話すことができなかった。そこでお坊さんが、
「今お話ししたことにお答え願いたい」といった。篤胤は、
「しかし、あなたのお話はまだ済んでいないのでしょう?」と聞いた。お坊さんがまだ済んでいないというと、
「それでは明日またもう一度いらっしゃって、お話の続きをしてください」と篤胤はいった。
翌日やって来たお坊さんは、またとうとうとしゃべった。しかしその日も話は終わらなかった。
三日目もやって来た。そして、
「これでわたくしがあなたにお聞きしたいことは全部です」と告げた。そこで初めて篤胤は、書き物の筆を止めてお坊さんの方に向き直った。そして、一日目、二日目、三日目にお坊さんが話したことを、全部整理し、論点を組みたてた。
「こういう質問だというふうに受け止めてよろしいですね?」と念を押した。お妨さんは目を見張った。今まで、
(この男が、一日目も二日目もずっと返事をしなかったのは、書き物にかこつけてはいるが、本当のところは答えられないからだ)
と思っていたからである。ところが、論点を整理した篤胤は、今度は自説をとうとうとしゃベりはじめた。お坊さんが問いかけた質問を全部論破した。お坊さんは呆れ返り、
「あなたには恐れ入りました」と降参した。門人たちは、今さらながら篤胤の知識の広さと、その論説の鋭さに感嘆したという。
また、篤胤はいつも自分の居間の入り口に、次のような貼り紙を掲げていたという。
「この頃、とりわけ私は著作に忙しいので、学問上の論議以外は来ないでもらいたい。特に、世間のくだらない長談義は一切御免被りたい。たとえ塾生といえども、学問上の疑問を問いかけに来ること以外は入ってはならない。学問上のことなら、たとえ、徹夜をしても論議に応ずる」
かれらしい貼り紙だった。
そこまで生き急ぐかれは、毎日の睡眠時間はほとんど四、五時間だった。時には全く眠らない日もあった。それがあまりにも長く続くので弟子たちは心配した。
「少しお眠りにならないと、体を壊しますよ」
「そうか」
うなずく篤胤は、今度は二日も三日もぶっとおしで寝ることがあったという。つまり″寝貯″のきく男だったのだ。 |
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