童門冬二著書
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          偉物伝

■河合寸翁は問題児に財政再建の依頼をするが利用されると乗らない

<本文から>
 「改革を進めるには核が必要だ」
 と考えた。河合らしかったのは、
「その核になるのには、尋常な人間ではだめだ。というのはいまは尋常な時ではない。異常な時だ。異常な時には異常な人間が必要だ」
と思った。そこでかれはいままで集めたた手持ちの問題児の中からその核になる人間を選ぼうと考えた。選んだのが出淵伊惣治、古市藤之進、青木平蔵の三人である。
 一夕、かれは三人を城下町の酒亭に連れていった。洒を飲ませながらこれこれだという話をし、
「協力してくれ」
といった。が、三人の反応は冷ややかだった。乗ってこない。河合にすれば、
(前の職場で持て余し者だった連中を引き取ってやったのだから、こんな時にこそ人生意気に感じて役に立ってくれるだろう)
 という目論みがあった。まして改革の全費任者として家老に任命された河合が、わざわざ城下町の酒亭に呼んで、
「頼む」
 といったのだから、すぐさま、
「わかりました。なんでもいたします」
 という答えが得られると思っていたのだ。が、案に相違して三人はそれぞれシラけた表情で、黙って杯を口に運ぶだけだ。河合は意外な気持ちになった。
(こいつらはいったいどうしたのだ?)
 と三人の顔を見渡した。
 三人のほうは三人のほうで考えがあった。それはかれらは河合の部下として引き取られたことに疑いを持っていた。職場の持て余し者だっただけに、その精神構造は尋常ではない。屈折している。それも複雑骨折していた。かれらはいままでさんざん職場の連中から白い目でみられてきたので、気持ちの芯はしたたかに鍛えられている。なにをいわれようと、どんな目でみられようと平気だ。
 だから河合が自分たちを引き取ってくれたことにも恩は感じていない。むしろ疑いを持っていた。
「河合様はおれたちを集めて、いい恰好をしようとしているのではないか」
 という見方である。変わったことをやって名を上げようという、いまでいうパフォーマンス活動のひとつではないのか、という見方をしていたのである。はっきりいえば河合が問題児を集めているのは、
「ほかの職場で持て余し者になっている連中を集めて、河合様は自分の名を上げようとしているだけだ。つまり持て余し者を利用しているのだ」
 とみていた。この考えは河合のもとに集められた問題児全般に適ずることだった。かれらは寄ると触るとこの話をした。
「河合様の名を上げたために、おれたちはここで飼い殺しにされるのだ」
「おれたちはかたちの変わった河合様のお稚児さんのようなものだ」
と互いに卑下しあった。こんな空気から建設的な力が生まれるわけがない。河合がせっかく集めた持て余し者連中は、前の職場にいたときよりもますます悪い勤務態度を取り続けていた。
 河合もその空気には気づいている。だからこんど藩主から財政再建の特命を与えられたことは、いい機会だと思った。
(鬱屈した問題児たちが、それぞれ能力を発揮する機会がきた)
 と思った。かれは人がいいから問題児のほうも、そういう機会を待ち望んでいると思っていた。機会がないから、鬱屈してただれた空気をお互いに発散しあっているのだと判断していた。そこできょうは特別に選んだ三人を洒亭に呼んで、自分の再建計画を話し、協力要請をしたのだが、ぜんぜん乗ってこない。河合は、
(これはおかしい)
と気づいた。そこで杯を膳の上に置くと、ニヤニヤ笑い出した。こういった。
「どうもおかしい」
「何がですか?」
古市藤之進がきいた。古市はさっきから、隙あらば噛みついてやろうと待ち構えていた。
三人の中でも古市がとくに、
「河合様がおれたちを集めたのは、自分の名を売りたいためだ」
 と思い込んでいた。だから少しでも河合が恩着せがましいようなもののいいかたをしたら、打ちまち反撃しようと胸の中でキバを研いでいた。
 河合は古市をみた。
「おかしいというのは、おまえさんたちがぜんぜん話に乗らないからだよ」
 河合はあえて三人の持て余し者に″おまえさんたち″というくだけた呼びかけをしていた。
 

■河合寸翁は問題児への役割依頼

<本文から>
 古市には、おれへの小言役を頼みたい」
「小言役?」
「そうだ。この新しい仕事は大事業だ。おれの判断に誤りがあることもあろう。またやってはならないことを命じることもあるだろう。そういうときは遠慮なく古市が意見役としておれにビシビシ諫言をいってくれる役を頼みたい。とくにおれの耳に痛いことをいってほしい」
「・・・・・・」
古市は黙った。じっと河合をみつめて続けた。
「わたくしには?」
青木平蔵がきいた。河合は青木をみてこういった。
「青木には、出まかせの答弁づくりを頼みたい」
「出まかせの答弁づくりとはなんですか?」
青木がきき返すと、河合は、
「おれはいまある目論みを立てている。相手は徳川幕府だ。そうなると、いろいろと理屈を立てなければならない。おれは理屈は苦手だ。青木は得意だ。そこでそういう際は、ぜひおまえの手を借りたいのだ」
「はあ」
 青木平蔵はわかったようなわからないような顔をした。河合は出淵をみた。
「出淵」
「はい」
「おまえには権家掛を頼みたい」
「けんかがかり?」
 出淵はきき返した。河合はうなずいた。
「権家掛というのは幕府の中でとくに力を持っているご老中水野出羽守忠友様のご家老土方縫殿助殿への掛ということだ。これは青木に頼んだ出まかせの答弁と歩調を合わせてやってもらう仕事になる」
「接待役ですか?」
 出淵はきいた。河合は、
「接待役以上の仕事だ。大変だぞ」
 そう告げた。こもごも役割を告げられて三人はもう一度額を見合わせた。その表情にはあきらかに、
(河合様はそこまでわれわれを買っておられたのか)
という色が浮いていた。かれらはかれらなりに、
(河合様を誤解川していた)
と気づいたのである。三人の気持ちも変わった。三人は、
(河合様のためにつくそう)
と心を決めた。

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