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<本文から>
永井と松岡も降伏を拒否した。しかし田島圭蔵はあきらめずに、
「それでは直接榎本武揚総裁と話したい。紹介してはもらえまいか」
と頼んだ。永井は榎本にこのことを話した。榎本は、
「それでは両者の中間地帯で会おう」
ということになった。選ばれた場所は千代ケ岱という所である。榎本はこの日も、
「新政府軍首脳部のご好意はよくわかるが、降伏はしない。最後まで戦う」
と告げた。しかしこの時かれは持ってきた一冊の本を田島に示した。
「これはわたしがオラソダに留学していた時から使っているオルトラソ先生の『海律全書』 です。新政府軍のしかるべき方に渡していただきたい。五稜郭が火にかかった時に、焼失させるのは惜しいからです。保存されれば、必ず日本海軍のお役に立つ本です」
といった。田島圭蔵は感動した。普通の敵将ならそんなものは預けない。自分たちが滅びる時に一緒に焼いてしまうだろう。それを日本海軍のために引き渡すというのだから、
(この総裁ほなかなか器量が大きい)
と感じた。陣に戻って黒田にこの話をすると、黒田も感動した。
「敵にもなかなかな人物がいる。よし、その本はおれが預かろう」
とうなずいた。よく、『陸軍の長州』「海軍の薩摩』といわれる。黒田清隆はのちに陸軍中将になるが、しかし海軍方面についても知識が広い。
黒田清隆ほ、折り返し酒を数樽と海産物のつまみを添えて五稜郭内に送った。
「オルトラソの『海律全書』は確かにお預かりしました。大切にします。お礼です。一杯やってください」
という意味だ。そして、
「戦闘に必要な武器弾薬の不足はありませんか? 不足なら届けます」
と申し添えた。もう、
「降伏しなさい」
とはいわなかった。
オランダで海軍の兵術をまなんだ榎本武揚は、まなんだのは外国の兵法だけではなかった。ヨーロッパの騎士道精神もまなび取っていた。だからこそかれは、最期の時にあたって、大切に保存してきたオルトラソの『海律全書』を敵軍に引き渡したのである。同時にこれを受け取った黒田清隆が、そのお礼に酒を数樽とつまみを添えて送ったというのは、日本に古くから伝わってきた武士道精神だ。
この騎士道精神と武士道精神が宙で手を結んだ。酒を送られて榎本武揚も感動した。そしてはじめて、
(敵将がそういう人物なら、降伏してもよい)
と考えはじめた。自分が責任をとって切腹さえすれば、その敵将は少なくとも他の将兵の生命は助けてくれるだろうと考えたからである。
榎本武揚と黒田清隆のこのやり取りは、明治維新前後に行なわれた新政府軍と旧幕軍との戦争の中で、最も美しい花を咲かせた。黒田が酒数樽送ったことが榎本の心を和らげ、榎本はついに降伏した。明治二年五月十七日のことである。 |
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