|
<本文から>
守ることの難しさは、戦いでも財産でも同じである。とくに、先代から大きな遺産を渡されたとなるとなおさらだろう。戦争がないというのは後継者には好都合でも、財産をふやす機会も少ないということである。加賀百万石の前田氏は大変だった。旧封地の八三万五〇〇〇石を三六万石加増され、一一九万五〇〇〇石として次代に引き継がれたのである。関ケ原合戦以来の初代利家の力の証だろうが、次世代の責任者が素直に喜んだかどうか。三代目はつらさが先に立つ。利常はいろいろな策を弄した。
江戸域のなかの「小便禁止、罰金黄金一枚」の立札の横で、平然と放尿をやった。
「大名ほどの者が、黄金を惜しんで、小便をこらえることができるかっ!」
と言い放った。もちろん利常は黄金一枚をその場に放り投げて、悠然と立ち去った。幕間の実力者たちは「バカ殿め、どうにもならぬ」とその卑俗な行動を嘆き、家臣たちは、さすがわが殿、将軍の威光をも恐れぬ稚気満々の抵抗と、わが田に水を引く。すべて利常には計算済みだった。
また、利常はいつも鼻毛を伸ばしていた。近習の者があるとき、入浴時用の毛抜きを買って来て、利常に上皇した。利常は翌日老臣たちを一堂に集めて言った。
「わしの鼻毛が伸びているのを、笑止に思ったり不思議に存じておる者もあろう。世間が鼻毛を伸ばしている者をうつけ者と申しておることなど百も承知じゃ。いつだったか安房守(本多氏)が鏡をくれた。また、こんどは坊主が鼻毛をぬけとでもいいたいのだろうが、道具をわしにくれた。お前たちが裏で指図をしたのであろう。お前たちの思いは、おおよそ察しがついておったが、わしは鼻毛を伸ばしたままにしてきた。その理由はな…」
老臣たちは、ばつが悪そうにしていたが、いっせいに首を伸ばした。
「今や、わが藩は大名中の上座にある。最高の石高と日本中に知れ渡っておる。もし、わしが利発ぶってそれを鼻にかけたら、幕閣はわしの心中を探ろうとし、みなの者も難儀をうけることになろう。前田はうつけ者よと思わせておけば三か団(加賀、能登、越中)も安泰、みなも万々歳で暮らせるというわけじゃ」
生まれながらにして大名の風格を備えた利常は、鼻毛で家格を守り通したわけだ。 |
|