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<本文から>
家康はまだ疑いの念を解かない。
「本陣の建物を無料で寄付してくれるといっても、それでは業者としてのおまえの儲けがないではないか」
家康が、誰もが考えることをロにすると、常安はうなずいてこういった。
「そこでお願いがございます」
「なんだ?」
家康は警戒した。常安は続けた。
「合戦が、大御所様のご勝利に終わったあかつきには、おそらく豊臣方で討ち死にした者が、城の近辺に遺棄されることでございましょう。この始末をきせていただきとうございます」
「なに」
家康は目をかっと見開いた。常安をにらみつけた。常安が願い出たのは、「合戦時に生じた遺体の処理」である。家康は胸の中で、(こいつはよほど物好きだな)と思ったが、油断はしない。(ウラがある)と思った。
たしかにそのとおりだった。ウラがあった。常安が、「戦場の遭体処理」を願い出たのは、単に遺体の処理だけではない。「遺体が身に付けている武具や、いろいろな小道具の処分」も含んでいた。遺体を処理する代わりに、鎧・兜・刀・槍などの武器や、また細かい金目の品物も全部自分の手によって処理させてもらいたいということである。
家康はそこまで見抜いたわけではなかったが、とにかくこの常安の申し出を承知した。
常安は茶白山に立泳な本陣の建物をつくつた。家康は喜んだ。
「ただでは悪い。褒美をやろう」
そういって、八幡の山林地三百石と、その永久所有を保証する朱印とをあたえた。そして、「帯刀も許す」と刀を差すことも認めた。
大坂の陣は、徳川家康の大勝に終わった。常安は、働き手を動員して、大坂城の内部に遺棄された遺体の処理におおわらわになった。もちろん、彼の本当の目的は、武具や調度品であった。
これによって、彼は大きな利益を得た。
しかし、このときの彼は、すでに先を見ていた。それは、「平和な時代になれば、必ず国民生活が大切になる。その国民生活を支えるもっとも大きな品物はなんだろう」ということだった。常安はたちまち、「それは米だ」と判断した。
ところが当時の米の相場はめちゃめちゃで、それだけに質も悪い。「これは良米だ」と売られている米の中にも、悪質の米がたくさん混入されていた。相場が一定しないからである。常安はここに目をつけた。 |
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