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<本文から>
東湖が愛していた梅が花をつけた。才助の丹念な手入れの賜物である。しかし、梅の花は才助ののぞんだ東湖の柩の上にはざれなかった。東湖は、ますますピンピンし出した。
不思議なことに東湖の書いた回天詩史や正気歌が、日本の諸所で唱えられはじめた。漠然と国難に当ろうと勇む愛国の士たちにひとつの理念を与えた。京都の天皇を中心にするという実践綱領を生んだ。
「常陸帯」は、いつのまにか斉昭の手に入った。自分を突きとばしてばかりいると思った側用人の、目をみはるような新しい忠誠心がそこに書きつらねてあった。
政治から逐われたはずの水戸派は、静かに日本の底流となりはじめた。東湖は、
瓢よ 瓢よ われ汝を愛す
汝かつて熟知す 顔氏の賢を
と瓢を片手に、酔いにまかせて即興詩をうたった。才助ほますます首を傾けた。
梅が散った。桜が花をつけた。そしてその花も散った。夏が来た。 |
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