童門冬二著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          明日は維新だ

■藤田東湖が書いたものが志士に理念を与えた

<本文から>
  東湖が愛していた梅が花をつけた。才助の丹念な手入れの賜物である。しかし、梅の花は才助ののぞんだ東湖の柩の上にはざれなかった。東湖は、ますますピンピンし出した。
不思議なことに東湖の書いた回天詩史や正気歌が、日本の諸所で唱えられはじめた。漠然と国難に当ろうと勇む愛国の士たちにひとつの理念を与えた。京都の天皇を中心にするという実践綱領を生んだ。
「常陸帯」は、いつのまにか斉昭の手に入った。自分を突きとばしてばかりいると思った側用人の、目をみはるような新しい忠誠心がそこに書きつらねてあった。
政治から逐われたはずの水戸派は、静かに日本の底流となりはじめた。東湖は、
 瓢よ 瓢よ われ汝を愛す
 汝かつて熟知す 顔氏の賢を
と瓢を片手に、酔いにまかせて即興詩をうたった。才助ほますます首を傾けた。
梅が散った。桜が花をつけた。そしてその花も散った。夏が来た。

■長野主膳が安政大獄リストを作成した

<本文から>
京都は主膳を追う、新しい時代は貴様を追う壬と告げた志士群の姿である。
 「そんな世は来させぬ」
 可寿江の腰に腕をまわしたまま、主膳は突然叫んだ。
 「幕府の権或は守るのだ! 何としても守る!」
 自分の身体の上で狂ったように呟く主膳に、しかし可寿江は、ただ鳴咽した。可寿江はその時もやはり、
 (柄でない人間が、柄にないことをしている)
 そう考えていた。
 安政の大獄と呼ばれる大弾圧が起こったのはまもなくである。梅田、梁川、池内、頼はもちろん、橋本左内、西郷吉之助、吉田松陰、そして水戸斉昭を頂点とする水戸グループのすべてにその手がのびた。
 弾圧の範囲は、公卿、大名、学者、浪士、農民、町人のすべてに及び、女、子供まで混っていた。検挙総数は百人をこえ、死刑八人、遠島四、他はすべて、追放、蟄居、謹慎、押しこめに処された。未曾有の大断獄である。検察陣の判決より、一等、二等を減じて処刑するのが江戸時代の慣わしであったが、井伊は逆に一等を加えた。遠島に内定していた吉田松陰、橋本左内が斬られたのはこのためである。井伊の憎悪はそのまま長野主膳の憎悪でもあった。
 断罪される者のリストはすべて長野主膳が作った。顔色も変えずに次々と指名する主膳の胸中には、ひゅうひゅうと音を立てて鴨川の川風が吹きまくった。その寒風の中を、バラバラと無数の礫がとんできた。
  しかし、主膳は、
 「負けぬ」
 と唇を噛み続けた。
 安政の大獄は翌六年まで続いた。そして−雪の厚い万延元年(一八六〇)三月三日、大獄の執行者大老井伊直弼は十八人の水戸浪士に斬られた。この殺人によって維新前夜の暗殺序曲がはじまる。

■有馬新七の欠陥が寺田屋事件を起こした

<本文から>
 この日、寺田屋に集結していたのは、薩摩藩士が三十人、他藩士が二十一人だった。久坂玄瑞は同盟の士に吉村寅太郎らの浪士を加えて、長州藩邸で約三百人を武装待機させていた。
 寺田屋内の志士群も、にぎりめしを食い、スネあてをつけ、ワラジをはくなど討入り準備に慌しかった。
 久光がさしむけた刺客は、
 奈良原書八郎、鈴木勇右衝門、大山格之助、道島五郎兵衛、江夏忠左衝門、山口金之進、森岡善助、上床源助の八人である。いずれも腕におぼえのある練達の士だった。
 寺田屋へ着くと同時に、
 「話があるから、ちょっと来い」
 と新七を誘った。そっちが八人ならこっちも八人だと、新七のほかに、森山新五左衛門、田中謙助、弟子丸竜助、柴山愛次郎、西田直五郎、橋口伝蔵、橋口壮助が一緒について来た。
 談合だというから、ほかの連中も大して気にしない。しかし談合したのは、ほんの一、二分だった。
 「君命だ。腹を切れ」
 という奈良原の言葉に、
 「たとえ君命でも、この拳はおこなう!」
と新七が応じると、道島が、
「上意!」
と、いきなり目の前にいた田中に斬りつけた。田中は眼球をとび出させ、即死した。
「やったな!」
 漸り合いがはじまった。
「君命にはそむかぬ!俺は君命に従う!」
 柴山がオロオロしながら悲痛な叫びを放った。
「おそい!」
 言いざま、山口が斬る。柴山は手向いもせずに殺された。
 「おのれ!」
 新七は、刀を抜いて道島にとびかかる。うちあい数合、どうしたのか、刀が折れた。新七は投げ捨てると、そのまま、道島を壁に庄えつけてしまった。
 そして、脇にいた橋口壮助(二十歳)に、
「俺ごと刺せ! 俺ごと刺すんだ!」
 と命じた。
 さすがに、ためらう橋口に、
 「刺せ!」
 橋口は目をつぶって突進した。背から腹に抜け、腹から道島の腹に入り、更にその背へ抜けて璧に通る刀の熱い触感が、肉を貫く苦痛の中でありありとわかった。
 新七は、そのままの姿勢で、道島が絶命するまで串刺しになっていた。
 次第に遠のく意識の中で、不思議に清河八郎の言った言葉が思い起こされた。
 「ムキになるな.ここでムキになると、とりかえしのつかぬ悲劇が起こる」
 清河の予言ビおり、悲劇は起こった。薩摩藩士が薩摩藩士を斬るという未曾有の悲劇が起こったのだ。
 「犬死にだ! 犬死にではないか!」
 泣くような声をあげて刀を振う討手の奈良原の声が、実感を持って、新七の耳にひびいた。
 (そうだろう。が、俺のゆとりのなさがこの悲劇を起こしたのか)
新七は考える。
 (大義とか意見の相違でなく、俺という一人の人間の性格の欠陥が、こんな大事をひき起こしてしまったのか・・・)
 馬関の宿場でムチをふるった久光の憎しみを湛えた顔が、一瞬、脳裡を通りすぎた・
 (きらわれたものな、あの人に・・・)
 久光が討手をさしむけた決意の中に、新七個人への憎悪がふくまれていないとどうして言えよう。
 自分を凝視していたあの目、その目に挑戦した俺の目・・・。
 (くだらない!)
 実にくだらないぞ! 尊皇の大義にも、倒幕の理念にも、まったくかかわりなく、犬のように俺は死んで行くのか!?

■久坂玄瑞は京都進発に迷っていた

<本文から>
「(あれでよかったのだろうか・・・)
 京都進発には、長年、反対だった。自重に虐重をかさねる玄瑞は、武力で京都に押し寄せるなど、下の下策だと信じて来た。それを、誰よりも、率先して進発論に賛成してしまった。
 (藩公に、いい所を見せたかったからか)
 あるいは、
(諸国の脱藩浪士が畏敬する久坂玄瑞という映像を壊したくなかったためか・・・)
 わからない、わからないのである。何か、とりかえしのつかないことをしたような気がする。沸きに沸いて、湯田に集結した藩公以下、五人の堂上も志士も国老連も、すでに京都を奪回し、昔日の長州の威力を手中にしたような気でいるが、錯覚ではないのか。長州という、日本本土の西の果ての、それだけに京都から遠い地理上の距離感が生み出した幻影ではないのか。その"幻影"に向って、長州は大進軍をはじめるのではないか−。
 まるで、脚柱の支えのない、虚構の舞台に立たされたような玄瑞の不安であった。その不安を持てあまして、植野川のほとりに出た。蛍がとんだ。蛍の淡い光は、玄瑞の不安をたちまち数倍化した。玄瑞は凝っとしていられなくなった。
 (萩へ行こう!)
 突然、そう思った。そう思って暗い山道を走り出した。
 (萩には高杉晋作がいる。野山の牢へ入れられているが、あいつに会えば、きっといい知恵を貸してくれる。知恵がなくても、話すだけで、おそらく気が安まる)

■久坂玄瑞は進発の前に牢にいる高杉と会う

<本文から>
「馬鹿野郎! 思い直せ! 久坂ともあろう男が来島の片棒を担ぐとは何事か!」
「進発は来島のためではない。藩公も同意だ。世子定広公が上洛するのだ」
「定広公が? 馬鹿な! 何のためにだ!」
「聞くまでもなかろう。進発の火をつけたのは池田屋事変だ。新撰組という食いつめ浪人共さ」
 「!」
 絶句する高杉に、玄瑞は、再び歩み戻ってさとすように告げる。
 「この時機に、きさまは牢の中、桂は、どこにいるかわからん。つまり、今、火中の栗を拾うのは俺しかおらんのだ。皮肉を言うのではなく、俺は、動乱の時に果たす各々の役割というものが、どうも天命によってきめられているような気がするのだ.もし、京都で死ねば、それが俺の天運だ」
 「何を馬鹿な! 松陰先生門下の最優秀生が何を言うか! 進発などに伍してはならん。長州にとどまれ。割拠して、奇兵隊を指揮するのだ。きさまはもっと偉くなる男だ。犬死にはよせ」
 「奇兵隊の指揮はきさまの仕事だ。高杉、やはり来てよかった。きさまと話して、俺も気持がはっきり定まったよ。俺は京都へ進発する」
「そんなことをしたら今までの自重がすべて水泡に帰すぞ!」
「だから、それが俺の天運だと言っている」
 嘘ではなかった。胸の中では確信のなかった言葉が、口から出たことによって、自分自身の考えをまとめる上に多大な役の立ちかたをした。殊に、人それぞれの、時代に対する役割の自覚は、動揺する玄瑞の気持を鎮めた。玄瑞の行く手に薄光がひらめいた。それは、蛍のようにはかない光であるかも知れなかったが−。
「もう俺は知らん。行け。馬鹿!」
 高杉は、牢の奥へ退き、不貞腐ったような声を立てた。
 「あとをたのむ」
 「知らん、俺は知らんぞ!」
 「…………」
 駄々ッ子のような高杉を残して、玄瑞は歩きはじめた。牢舎の門を出る時、
 「玄瑞!」
 涙を含んだ高杉の高い声がした。久坂玄瑞は聞き捨てた。
四日後の六月十五日、久坂玄瑞は、長州進発軍の先頭を切って上洛した。

■中岡慎太郎の薩長連合が龍馬によって変わってくる

<本文から>
(機略家の群れだ)
 少なくとも武士ではない。武士はこんな腹の底を見せあわない会話はしない。全く新しいタイブの人間が集まっている。時代が人間にこんな突然変異をさせたのであろうか。
 「この償いは只では済まん。まあ、薩摩名義で蒸気船と銃をシコクマ買って長州に渡すのだな」
 笑いの中に、坂本はいつのまにかそういう話を挿入した。
 「蒸気船と銃を? 扱うのは亀山社中か?」
 「そうだ。武器の売買に俺の社中を使わぬという手はない」
 「社中もいいが、扱料が高いのでな。今度はどの位ピンハネする気だ?」
 「まず二割」
 「ひどいぞ!それは」
 「長州は金を持っている。長崎にいるエゲレスの武器商グラバーも貸すと言っている」
 「坂本君、君は侍か商人かわからんな」
 「俺にもわからん。しかし、社中の掟に、社中は投機、利殖を目的とすべしとある。守らにゃいかん」
 「都合のよい掟だ」
 洪笑が渦を巻く。
 慎太郎は、
 (これは一体何なのだ・・・)
 と思う。
 自分の考えて来た薩長連合が、ここでは、ズタズタに裂かれ、垢だらけにされている。
 後に海授隊に発展する坂本の結社亀山社中は、密腎易の運輸会社だ。それだけにピンハネもひどい。
 (所詮、才谷屋の枠か?)
 利にさとい商人の息子なのか。連合に商売を結びつけるというのはどういう神経なのか。志士共通の目的である王政復古の理想などカケラもないではないか−。
 (思ったとおりだ)
 連合の仲介を坂本の手にゆだねてから、事態は慎太郎の怖れたとおりに進んでいる。慎太郎は無念だった。而も、冗談話の中で、肝心なことは次第に進捗してしまう事実が何としてもうなずけなかった。言いようのない違和感がいよいよつのった。

■中岡慎太郎は龍馬の大政奉還に敗れる

<本文から>
慶応三年冬。討幕派は遂に"討幕の密勅"を手に入れた。中山忠能、中御門経之、三条西実愛の三人が書いたものである。天皇の印も署名もないところから、現代でも史家の間では"ニセ密勅"説が多いが、慎太郎たちにすれば何でもかまわなかっただろう。
 あわせて錦の旗の意匠もきまった。官軍の準備は全くととのった。密勅を手にした薩摩・長州の密使は、それぞれ本藩へ急行した。あとは薩長軍が名を変え"官軍"として上洛するのを待つばかりだった。
 当時、東山白川のほとりに土佐陸援隊を組織し、その隊長として討幕軍に参加するつもりでいた慎太郎は、屯所に戻ってはじめて大きな息をついた。
 (勝った!)
 と思った。あの坂本に勝ったのだ。先進的な行動家にみえながら、その実、多くの矛盾をかかえるオポチュニスト坂本竜馬に勝ったのだ。軍鼓を鳴らし、錦旗を凰にひるがえして官軍は西から上って来る。俺もその隊列に加わる。慎太郎のその夜の夢は楽しかった。が−翌日、胸をおどらせて岩倉邸に行った慎太郎は、そこで吐き捨てるように言う岩倉の言葉を聞いた。
 「将軍が大政を返上した。一日ちがいだ、一日ちがいで、大政返上派にしてやられた・・・」
 ガン!と後頭部に鈍器の当る思いがした。坂本は敗れてはいなかったのである。山内容堂を動かした坂本は、それだけにとどまらず、幕府例の大目付永井主水正にも手を打ち、奉還の文章まで起草させていたのだ。
 「惜しかったなあ、一日の差だよ」
 語尾を長く引張ってそう笑う坂本の顔がありありと浮かんだ。慎太郎は日の底を光らせた。はげしい決意が噴きあがりはじめた。

■谷千城は土佐の遅れを取り戻すため暴名を甘んじる

<本文から>
「谷はやりすぎる」
 「鎮撫地に暴将の印象を与える」
 「あれでは、折角恭順した親幕藩が再び叛く」
 「谷の征討ぶりは、まるで私怨をはらしているようにみえる」
 総督府の中で、そういう声がささやかれ出した。
 「谷という男は恭順した者まで斬る」
 「東軍の一兵にいたるまで中岡憤太郎殺害の犯人だとみなしている」
 「奴は狂っている」
 恭順してもどうせ討伐されるのなら応戦しようじやないか、と、血の気の多い募兵が再び叛したのも事実だった。上総流山進出も、そういう叛徒討伐のために、遮二無二、谷が軍をひきいてとび出してきた一例だ。
 (何とでも言え)
 「自然に暴名を負うも、また、ここにあらんか」−と「東征私記」に書きつづる谷は、胸の中に、すでにひとつの決意を抱いていた。その決意実行は、江戸へ入ってからではおそいのだ。征討軍の勢力分布が明確になったあとではおそいのである。
 (それまでに何とかしなければならぬ)
 暴将も私怨の徒も、俺一人がその汚名をこうむればいい、問蹟はその汚名によって得る報酬を確固たるものにすることだ。土佐はおくれをとってはならない。猟犬のように目を光らせる谷の前に″近藤勇裁判″は、まさに恰好の獲物であった。
 (これで勝負だ)
 谷は心を燃した。いままでに戦ってきたどの戦いよりも、幾層倍もの緊張を谷は味わった。
 そして−戦う敵は薩摩であった。長州は薩摩の言いなりだ。薩摩に勝つことが必要だ、そう谷は判断した。
 審問の休想はまだ終らない。縁に立って天を仰ぐ谷の脳裡に、土佐軍を送り出したときの容堂の姿が浮かんだ。
 「天なお寒し。自愛せよ」
 容堂はそう言った。酔っぱらい詩人らしい壮行の辞であった。
 「殿、天下はもはや殿のきらう粗暴の者のものです」
一矢むくいる板垣退助に、容堂は苦笑しただけだった。しかし、その苦笑は、自分の政治
的生命が終ったことを自覚する笑いであった。

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