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<本文から>
「各地方の火をまとめて、もっと大きな火にしてくれる統率者」
を求めはじめた。
その統率者の条件は、
○武士の地位を高めてくれる人
○武士のもつ土地を増やしてくれる人
○名門の人
○すぐれた人
などであった。こういう条件を、生きている武将の中に求めると、
「あの人は、ここがすぐれているが、ここがダメだ」
「あの人は、すばらしい人だが、生まれがいやしい」
などいろいろな評価がなされ、それに基づいて消去をしていくと、結局、残るのは、″源氏の嫡流″ということになる。そうなると結局は、足利高氏と新田義貞の二人の関東の武将に落ち着くのであった。そして「では、どちらがいいか」ということになると、二人のことを知っている者は、
「新田義貞殿は人間が小きい。そこへいくと足利高氏殿は器量が大きい。戦争に勝つと、褒美は全部部下にくれてしまい、自分は何ひとつとらないそうだ」
といった。事実だった。高氏は欲がなかった。
こういう噂が次々と流れ、″足利尊氏″の名は、皇室や公家や寺社の支配から脱し、自立したい地方武士たちの″希望の星″として、次第に高まっていった。
高氏が住む東国だけでなく、中部地方にも、山陰、山陰地方にも、九州地方にも広まっていった。なぜか特に九州で大きな期待がかけられはじめた。
足利高氏は、自身が反乱を超こきないうちに、すでに、″反乱者の盟主″にまつりあげられていたのである。しかも、その反乱の対象は、ただ北条氏だけでなく、″武士を苦しめる一切の権力″を意味していた。
このことが、その後足利高氏に栄光と悲惨の両方の道を歩かせるのである。 |
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