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<本文から> 政子は正直にいって一夫の源頼朝に不満なところがあった。
それは、政子には次のような政治理念があったからだ。
●鎌倉に新しい幕府を開いたのは、あくまでも″武士の・武士による・武士のための政権〃を確立したということだ。
●それを支えるのは東国武士であって、西国の武士ではない。とくに都の人間ではない。
●政子は、武士が京都に入ると必ず生活が貴族化して堕落する、と思っていた。だから、京都に生まれ育った夫の頼朝がときに京都を恋しがり、またとくに京都の女性に色目を使うのを好ましからず思っていた。
●東国の伊豆に生まれた政子には、女性でありながら東国武士の初心・原点の思想が脈々と流れていた。
●したがって、政子が鎌倉政権に託したのは、この「東国武士の初心・原点をあくまでも失わない」というものだ。
●東国武士の初心・原点というのは、質実剛健・不言実行・潔い身の処し方・家族や部下に対する限りない愛情などである。
●同じ源氏の一族でも、木曾義仲・源義経などの武士が京都に入ると必ずフニヤフニヤになり、結果的には身をほろぼしてしまう。こういう状況を見ていて、政子はいよいよ「武士が都に入ると必ず骨抜きになる」と感じた。
●したがって、せっかく夫が鎌倉に樹立した武士の政権は、あくまでもバックボーンをきちんと持った、東国武士の初心・原点を守りつづけるものでなくてはならないと感じた。
●そして、そのためには「たとえ女性であっても、自分が実質的な将軍になって鎌倉幕府を守り抜かなければならない」と心を決した。
●政子はこれを実行した。そのため、彼女は尼将軍″と呼ばれた。 |
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