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<本文から>
昔からよくいわれることだが、
「世の中の中が不景気になると、忠臣蔵ブームが起こる」
といわれる。この因果関係はまだ解明されていない。いうなれば、この因果関係こそ、
「忠臣蔵最大の謎」
といえるかもしれない。そして今また忠臣蔵ブームが起こったのは、やはりこの因果関係の底に潜む原則が頭をもたげたからだろうか。
この大きな謎の他にも、たとえば江戸城中における浅野内匠頭の刃傷と、四十七(六)人の仇討ちだけを取り上げても、いまだに解明されない謎がある。それは、
●浅野内匠頭は、なぜ吉良上野介に斬り付けたのだろうか。
●当時の幕府の制度は行き届き、吉良邸を含む大名の町には辻帯所があり、庶民の町には自身番屋がある。同時に、町々には木戸がつくられて、午後十時になるとこの木戸が引き出され、江戸の町は全体が檻のように変わる。江戸市中は自由には歩けない。そういう中を、なぜ四十七(六)人もの浪人集団が、徒党を組んで嫉歩けたか。
●また、吉良邸に討ち入った時、まわりの大名や旗本たちは、何をしていたのだろうか。
●仇討ちの本懐を遂げて、浪人たちは芝高輪の泉岳寺に引き揚げて行くが、この行進をだれも止めてはいない。一体、幕府側の町奉行所や、大目付などは何をしていたのだろうか。
などというものだ。 |
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