久坂玄瑞 (1840-1864) 長州藩士

久坂玄瑞  久坂玄瑞は、天保十一年(1840)長州藩藩医の次男として萩城下に生まれたが医業を好まず、早くから経史を読み、また西洋の文明にも関心をよせたという。15歳で父よ兄を失い、久坂家の当主となる。
 18歳で松下村塾最初の入門者となり、後に四天王の筆頭と呼ばれるようになる。松陰は優秀さに惚れ込み実妹の文を嫁がせている。
 文久三年(1863)久坂の呼びかけで集まった志士による光明寺党を結成し、下関で外国船砲撃に加わる。
 その後、八・一八政変や池田屋事件で窮地に陥った長州の過激志士たちが、元治元年(1864)禁門の変が勃発し、ついに天皇への赦免嘆願という名目で二千兵で京を目指した。久坂も止めようとしたが止められず、やむなく自ら軍勢を率いて布陣した。しかし長州の嘆願が受け容れられず朝廷から退去命令に長州が拒否したため開戦となった。七月十九日、銃弾を受けた久坂は入江らとともに自刃した。25歳であった。

関連の本関連の本・・・
●明日は維新だ (著者/童門冬二)
●炎の如く〜吉田松陰  (日本テレビ時代劇SP)
●吉田松陰 異端のリーダー  (著者/津本陽)
●久坂玄瑞 (著者/大石優)
●吉田松陰と久坂玄瑞 (著者/河合敦)
●吉田松陰−久坂玄瑞が祭り上げた「英雄」 (著者/一坂太郎)

メニューへ


−トップページに戻る−