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長岡藩士・河井代右衛門の長男として生まれる。27歳の時、江戸に出て、斎藤拙堂、佐久間象山に師事する。28歳で藩政に関与するようになり、31歳で家督を相続する。そして、長崎に留学し、砲術を学ぶ。慶応3年(1867)に家老となる。
藩の実権を握ると、次々と改革を進めて、中でも兵制においては、西洋式にあらため、装備を西洋化し、北越一の武装国家にする。
戊辰戦争が始まると奥羽越列藩同盟に加盟するが中立を貫こうとし官軍に嘆願するも会談は決裂。慶応四年(1868)やむなく政府軍と戦うことになる。初戦では勝利は収めるものの、山県らの官軍応援部隊におされ、長岡城は落城。いったんは城を奪還するが、左脚に被弾し指揮不能となった。塩沢まで撤退するが、破傷風を併発して死亡する。 |