Alan Parsons Project | ||||||||
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HISTORY | ||
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アラン・パーソンズ・プロジェクトはAlan Parsons(アラン・パーソンズ)とEric Woolfson(エリック・ウールフソン)が中心となって結成した音楽集団である。 アラン・パーソンズは1948年12月20日、ロンドンに生まれる。5〜6歳からピアノ、そしてフルート、13歳から ギターを演奏。学生時代にはギタリストとしてクラブに出演し、アルバムも1枚製作した。 1965年10月、EMIに入社。そして、レコーディング・エンジニアを目指し、アビーロードスタジオの仕事に応募し、1968年にその夢を果たす。 ビートルズの『ホワイト・アルバム』『アビーロード』でアシスタント・エンジニアを務め、『レット・イット・ビー』でエンジニアとして参加。更にピンク・フロイドの『原子心母』『狂気』、ウイングスの『ワイルド・ライフ』のエンジニアで脚光を浴びる。そしてマネージメント担当であったエリック・ウルフソンの2人が中心となり結成されたのである。 そのきっかけは、エリックがアランに、幻想浪漫作家のエドガー・アラン・ポーの世界のアルバム作成をもちかけたのが始まりで1年以上もかけてポーを綿密に研究。ミュージシャン達を集め、1975年にアビー・ロード・スタジオにてレコーディングを行い『Tales of Mystery and Imagination(怪奇と幻想の物語 〜エドガー・アラン・ポーの世界〜)』を発表した。 以後、『I Robot』(1977)、『Pyramid』(1978)、『EVE(イヴの肖像)』(1979)、『The Turn OF A Friendly card(運命の切り札)』(1980)、『Eye in the sky』(1982)、『Ammonia Avenue」(1984)、『Vulture Culture」(1985)、『Stereotomy』(1986)、『Gaudi』(1987)をリリース。アルバムによって参加アーティストは大きく変わり、特にリード・ヴォーカルは1枚のアルバムで5〜6人も起用されることあった。 1970代はシンセサイザーやオーケストラなどを導入したプログレッシヴな音楽性であったが、80代に入ってからはポップス路線へと変化していった。プラチナ・ディスク3枚及びゴールド・ディスク4枚獲得と、ライブを行わないプロジェクト形式のバンドとしては世界最高の成功を収めました。 その後エリックはミュージカルの世界に移り、アラン・パーソンズ・プロジェクトは事実上解散するが、1993年にアランはソロで『Try Anything Once(人生ゲーム)』をリリースし健在をアピール。その後も「On Air」(1996)、『The Time Machine』(1999)、『A Valid Path』(2004)を発表する。 |
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