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ドイツのプログレ・バンドの〔Ash Ra Tempel(アシュ・ラ・テンペル)〕は1970年に西ドイツ(当時)のベルリンで結成された。ベルリンのクラブや画廊でギグを行う。メンバーは弱冠18歳のギタリストのManuel Gottsching マニュエル・ゲッチング(g)、〔Tangerine Dream〕を1stアルバム発表後に脱退したKlaus Schulze クラウス・シュルツ(dr)、〔ブルーバーズ〕以来ゲッチングと活動を共にしてきたHartmut Enke ハルトムート・エンケ(b)の3人。バンド名は灰、太陽神、神聖な場所を繋げたもの。サイケデリック、ドラッグ、ヒッピーなどのカルチャーと密接な関係を持ち、英米ではピンク・フロイドらとともにスペース・ロックの代表的なバンドとして活躍する。
1971年6月、1stアルバム《Ash Ra Tempel》をリリース。クラウス・シュルツェのドライブ感あふれるドラミングが魅力だが、彼はこのアルバムのみで脱退してしまう。4stまではLPの各面に、静と動の対比する曲が一曲ずつ収録され、サイケデリックでドロドロしたカオス的な作風が続く。72年に《Schwingungen(セカンド 振動)》をリリース。73年に《Seven Up》を発表。その際にLSDのグル(伝道師)であるティモシー・リアリー博士がヴォーカルをとり、録音の際には仲間のミュージシャンがスタジオに7、8人もつめかけ、LSD入りのセブン・アップを飲みながらセッションを行ったという。そして同年、4th《Join Inn》をリリースしたあと、エンケが脱退する。
ひとりになったマニュエルは、ファッションモデルのロジ・ミュラー(マニュエルの私的なパートナーでもあった)をフィーチャーして、ポップな5th《Starring Rosi》を発表。75年の6th《Inventions For Electric Guitar》では作風を一変して、ギターのオーバー・ダビングとディレイによるミニマル・ミュージックを試みた。エレキギターによる洪水のような独特の美しい反復メロディーは、以降の〔Ashra〕、あるいはマニュエルの代名詞となる。
1976年、バンド名を〔Ashra(アシュラ)〕に変更。ヴァージン・レコードと契約し、7th《New Age Of Earth》以下の4作品をリリース。いずれもシンセサイザーを前面に出したアンビエント、テクノ、あるいはニューエイジ・ミュージック的な作品である。
1997年に来日し、ライブアルバム《@shra》、《@shra Vol.2》を発表。また、1995年にクラウス・シュルツェのアルバム《In Blue》内の〈Return of The Tempel〉で久々の競演を果たし、2000年には二人で〔Ash Ra Tempel〕の名を復活させ、かつてのメンバーだったハルムート・エンケに捧げるアルバム2枚をリリースした。アシュラとしてのリリースは2002年のアウトテイク集以降無いものの、現在もマイペースともいえる活動を続けている。 |
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