吉川英治著書
ここに付箋ここに付箋・・・
     柳生石舟斎

■柳生は二条御所放火より山間にこもった

<本文から>
 永禄二年。筒井順昭もすでにその頃病死していた。
 時は近づいた。信貴山城の松永久秀が、大和へ攻め入る事前に、
 「呼応して、南の地より、筒井領へ斬り入られよ」
 と、簡を通じてきた。
 この時から、柳生一族は、筒井の隷属から離れた。そして松永弾正の七手の旗頭として重用された。
 多武ノ峰の合戦では、山徒の僧兵と戦い、松永氏の勢が昂まるに従って、柳生家も当然、隆昌に向ったが、その弾正久秀が、三好義継と共に、永禄八年の夏、二条御所へ放火して、乱刃の下に、将軍義輝を耗逆してから、柳生宗厳は、彼にもすっかり望みを断って、
 「わが兵馬は、逆のために動かさず。わが剣は、乱のために把らず」
 と、絶縁状を送りつけて、それ以後、ただ山間の孤城に拠り、深く守って、敢て、天下の乱へ出なかった。
 義輝将軍の亡き後の京洛は、まるで無政府状態に近かった。中央の乱は当然、諸州に波及して、いよいよ天下大乱の相貌を呈して来た。
 禅に。
 読書に。
 また、養身鍛心に、
 世の春秋もよそにして、以来数年のあいだというもの、柳生宗厳は、まったく門を閉じ客を謝して、草庭に籠っていた。
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■無刀の極意

<本文から>
  「わかりません。ただ到らざるを知るだけです。−それは理法に依りましょうや。技に依りましょうか」
 「理も技も超えたものです。理と考えれば、理念にとらわれ、技と考えれば、体にとらわれる。いったい人間の真体というものは、それ二つしかないものでしょうか。…
 …否とはすぐにお気づきになろう。然らば、理にあらず、技にもあらぬ体は何か」
 「…………」
 「実はの」
 伊勢守の語気も熱した。
 「こうは申しながら、此方自身もまだ、容易にそこの会得はなり難ておる。ただ伊勢守として、信念いたしておるところは、無刀、その二字が極意です」
 「無刀。−無刀の極意とは」
 「医術の究明は、医術の無用になることを以て目標とし、法令の要旨は、法令の無き世を創つるにあり、兵馬の理想は、兵馬なき平和を招来するにある。−剣は、殺人をもって大願とせず、剣はまた、剣を帯ぶるがために、剣禍にも会う」
  宗厳は、頭を垂れて、心に銘じていた。
 「なぜ、あなたは、この伊勢守にどうしても勝てないか。理は簡単である。あなたは剣を持ってかかる。常に常に、剣に悼み剣に迷い剣に執着しておられる。それに反して、伊勢守はとくより剣を捨てておる。剣は持てど、剣に悼まず、剣に妄執せず、無刀の心をもって、体としておる。……いや理も体も超え、剣をすらあるとも思わず対しているのです」
「……あっ」
 微かに、声を放って、宗厳はそれと共に、陣をあげた。
 師と自分との、今までの距離が、心態の相違が、はっきりと心に見えた陣であった。
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■宗矩は治国の剣

<本文から>
  五郎右衛門の居眠りも、兵庫の無遠慮も、石舟斎は、これがありのままの若者と、許しているかのように、咎めもしなかった。
 家康も、にやにや眺めて、敢て、それに依って、石舟斎の躾を疑おうとしなかった。
「宗矩は幾歳になるの?」
「二十六歳にございます」
「そちが推挙するからには、この三名のうちでは、宗矩がもっとも道に達しておると認めておるのか」
「いや」すこしあわてて石舟斎が答えた。
「当人を前において申してはいささか不敏にござりますが、剣の強弱としては、この三名の中で、宗矩がもっとも弱いかと存ぜられます」
「……ふりむ、一番未熟というか」
「未熟というおことばは恐れながらちと当りませぬが、弱いことは、たしかに弱いと申されます。−けれども不肖石舟斎が宗矩に仕込みましたものは、徒に、強きを能とする剣道ではございません。−また、宗矩の性格に、そうした剣は身に持てぬところでもありますので」
「然らば、何をもって、宗矩は能とするか」
「治国の剣にございます」
「治国の剣。……それは初耳じゃが、どういう意味か」
「世を治めるの剣。民を愛護し泰平を招来するの経世の剣にござります」
「剣にもそういう徳があるか」
「術ではなく、道であります故に。− すでに道である以上、聖賢のこころ、禅の要諦、経世の要義、その道のうちにあらぬはございません」
「すると、学問だな、まるで」
「学問は理念を基とし、人の知性にのみ多く拠りますが、剣は、体得の実相を主として、生死の解決から先にして、ただ実践をもって道に入るものです。故に、これを君主が行って、治国経世に、その理を用いうるにしても、自ら知識から得たそれと、実相体得から入ったそれとは、現わされる御政道の上に、大きな相違があるかと考えられます」
「わかった」
 家康は、洛然と、眼をあげて、梢のあいだの碧い夏空を見入った。
 「……そうか。ムム、そうか。いやよく相分った。宗矩の性質もおよそその言葉で察せらるる。では宗矩を、今日より江戸の秀忠へ、奉公に差出すこと、異存ないな」
 「何とぞ、お伴いねがいまする。宗矩、そちも、よう心を定めておろうな」
 「はい」宗矩は、明確に答えたが、身に過ぎた大任を、果たして充分に勤められるかどうか、さすがにやや不安ないろを面にかくしきれなかった。
 「彼方の茶屋へ来ぬか。……茶などつかわそう。めでたい主従のかため」
 家康が床凡を立った頃、五郎右衛門は渋そうな眼をあいて、そのくせ、何もかも知っているように、取澄ました顔をしていた。
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