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<本文から>
「官兵衛どの。驚かれるなよ」
こう厳粛な悲痛味を予告しながら、彦右衛門は手短に事実を告げた。長谷川宗仁からの飛脚もそのまま語った。豪気をもって鳴る官兵衛孝高の顔いろも、それを聞かされた一瞬は凡人以外のものではなかった。
「………」
何もいわず官兵衛もまた、大きな息と共にその胸へ腕を挟んでしまった。
そして時を措いて、じろと額ごしに同じ姿でいる秀吉を見た。
と、堀秀政はすすと膝をすりよせて、秀吉へ云った。
「はや過ぎたるを思うてみても致し方ごぎりますまい。世凰は今日から吹き変りました。しかも風は順風と覚えられます。お船出の帆をお揚げなさるべき時節こそ到来。ふたつか一つかの御分別、いまこそ肝腎かなめかとぞんじまする」
それに応じて幽古も云った。
「秀政どのの御意、まことに至言。世間の様態、ものに喩えて申すならば、吉野の桜、雪とけて、東風の訪れに会いたるごとく、人もみな、やがてお花見を待つ心地やらんと思わるる。早々、お花見のおしたく、遊ばされますように」
「よういわれたぞ、衡両所−」
と、官兵衛孝高も膝をたたいた。
「天地と永劫、万象も春秋に、そのすがたをかえてこそ、生命も久し。−そのあめちの心をもて大きく申さば、このたびのこととて、めでたしといえぬこともない。青野のさくら、時来らでは見られぬものよ。雨情を孕み、風の陽気に、おのずから嘆き出るに、何の御分別や要り申さん。−秀政、幽古などの申すとおり、この上は花見始めの御一戦。しかと御決意あそばして然るべきかと存じまする」
左右の者のすすめは秀吉をして、いうまでもないことよ、と会心の笑みを抱かせたにちがいない。
実に秀吉の本意もそこにあるのだ。−が、ただ、秀吉は人々がそれを云い出すのを待っていたに過ぎない。彼としては、信長の死をもって、
−天地の慶祝なり。
とはいえなかった。
その痛哀をして、天下の悲愁たらしめず、天下の慶祝とさせなければならない、とする小義や私情を乗り超えた信念が、よしいかほど自己のうちに固くあってもである−不用意にあらわしては誤解されやすい。総帥の死はやはり三軍の喪であり、しかも彼の一臣だった。
臣なるがゆえに、信長の死を犬死にとさせてはならないのである。その生命を不朽に継ぎ生かすこそ遺された家臣の道と彼はかたく思う。けれど臣道なるものを、誰も口には説き、誰も行うに劣らずとしているが、その信行にはおのずから人まちまちな深さの差がある。
彼は彼の信念と深度を以てつらぬくしかない。その肚の底には持つものを確と持っての秀吉であった。 |
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