吉川英治著書
ここに付箋ここに付箋・・・
     新書太閤記 7

■人夫の不平を咎めやる気を出させる

<本文から>
  「それだけか。不平は」
 官兵衛のことばに、五名は、
「へい。まず一番に、それからかたをつけていただきたいもんで」
 と、衆を恃んで、怖れ気もなく云いたてた。
 「成らんッ!」
 官兵衛は、初めて、ほんとの声をふりしぼった。竹の杖を投げるやいな、陣刀を抜いて一人を真二つに斬り、逃げるのを追って、また一人斬った。同時に、うしろにいた吉田六郎太夫も、千原九右衛門も太刀を払って、抜打ちに、他の三名を鮮血の中に打ち果していた。
 黒田官兵衛、千原九右衛門、青田六郎太夫、こう三人が手分けして、電瞬に、五名を斬ったわけになる。
 その迅さと、意外とに打たれて、数千の人夫は、墓場の草のようにひそとしてしまった。
 それまでの横着そうな面がまえも、不平の声も、反抗的な眼つきも、一瞬に拭き消されて、ただ土色の無数な顔が、胆を失ったようにむらがっているに過ぎなかった。
 五ツの死骸を地上におきながら、官兵衝、九右衛門、六郎太夫は、なお雫する血がたなを手にさげたまま、それらの無数な頭の上を無気味な眼でながめていた。
「−改めて、一同へいうが」
 と、やがて官兵衛はありったけな声を張って告げた。
「おまえたちの名代、五名の者は、いまこれへ呼んで、その云い分なるものを聞いてつかわした。そしてかくのごとく明瞭な返辞を与えたわけである。−が、まだほかに申し分もあろう。これへ出て云いたいものを抱いておる輩もあるに相違ない。− 次には、誰だ。われこそ、一同を代表して、何かいおうと思うものは、いまのうちに出て来るがいい」
「……」
「出ろ。出て釆ないか」
「……」
「もはや、云い分はないのか。あらば、誰でも、これへ出て申せ」
「……」
 官兵衛は、またしばらく口をつぐんで、彼らの反省するいとまを与えていた。無数の顔のうちには明らかに恐怖のいろを悔いにかえている者もみえた。そこで官兵衛は、はじめて、血がたなの糊をぬぐつて、陣刀の鞘におさめ、その威容を正しながら、かつ顔いろをやわらげてこう人夫一同へ諭した。
「五名の者につづいて、誰もあとから出て来ないのを見れば、おそらくおまえ方の本心は、この五人とは違うものと思われる。そう解釈して、これからは、こちらの云い分をいってつかわすが……どうだ、異存はないか」
 数千の顔は、救われたように、声をそろえて、それに答えた。−毛頭異存などはございません。元々わしらは何も知りません。また、不平や不満をいった覚えもありません。ただ、そこへ上がって御成敗をうけた頭株の連中に嘆かされで怠けただけに違いございません。−どうかわしらはどんなにでも御命令に服して働きますからごかんべん下さいまし。
 数千の者が口々にいうので、がやがやと大きい声、小さい声が波打つばかりで、どの顔がどんなことをいってるか分らないが、ともかく全体の者の気もちだけは聞きとれた。
 「よしよし。…しずまれ」
 官兵衛は、手を振って、制しながら、
 「そうだろう。さもあるはずとわしも思う。難しいことは説かぬが、要するにお前がたは、はやくよい御政道の下に、安民楽土という境遇を得、妻子とともに、楽しく働いてゆければゆきたいのだろう。−それを、目前の小さい骨惜しみや利慾にとらわれていたら、お前たち自体で、おまえたちの望む日の来るのを邪魔しているようなものになるぞ。また、これだけは固く信じるがいい。わが織田右府棟より御派遣の羽柴軍は、絶対に、毛利にやぶるるものではないということをだ。毛利こそはいかに大国でも、はや凋落の運命にある国。これは毛利が弱いわけではなく、時の大勢というもの。またわが織田軍は、朝廷に仕えて、よく禁門の御心を体し、もっともよく、いまの諸国を統一し、治めるものとの、御信頼もあつい武門であるがためでもある。どうだ、わかったか」
 「わかりました」
 「では、働くかッ」
 「働きます。どんなにでも、働きまする」
 「よしッ……」
と、つよくうなずくと官兵衛は、秀吉の床几の方をふりむいて、
 「人夫一同、あのように申しておりますれば、何とぞこのたびだけは、御寛大をもちまして」
 と、大勢になり代って詫びを述べた。
 秀吉は床几を立って来た。ひざまずいた官兵衛や奉行たちへ何か命じている。と、忽ちそこへ勘定方の武士に率いられた足軽たちが重そうに銭久をかついで来た。一荷や二荷ではない。何十という久の山、いや銭の山がまたたくうちに積まれた。
 なお茫然と、恐怖や悔いにつつまれている人たちへ向って、官兵衛がふたたび云った。
「ふかくとがめるな、汝らは元来不慾なものである。仲間のうちの二、三の悪者に嗾され、心にもなく不平を鳴らしたにすぎぬ者。−そう筑前守様にはおおせられて、他意なく働くからには、酒代も充分とらせて励ませとの御沙汰だ。ありがたくお礼をのべて、酒代をいただき、すぐ仕事にかかれ」
 足軽に命じて、そこにある限りのかますを、悉く破らせると、銭の山は雪崩をなして堤上をうずめた。
 「いくらでも掴めるだけ掴んで行け。ただし一人一滴みずつだぞ」
 云い渡したが、なお狐疑して、たれひとり出て来ようとはしない。眼と眼を見あわせ、仲間と仲間とささやき合い、依然、銭の山は置かれてあった。
 「はやい者勝ちであるぞ。なくなった後に不服を申すな。一人一つかみずつ下されるものゆえ、掌の大きい者は大きく生れたが待というもの。小さい掌の者は落着いて取りこぼさぬように戴くがよい。あわてて損するな。そして、少しも早く仕事に就け」
 もう人夫たちは疑わなかった。彼の笑顔と冗談のなかに真実を知ったからである。前のほうにいた人夫たちの一群が銭の山へ駈け寄った。余りにある銭に疎んだようにちょっとためらったが、ひとりが先んじて一滴み取って過ると、同時に、わあっと凱歌のような歓声があがった。
 たちまち、銭か人か土のかたまりか分らないような混雑が起った。しかしただひとりも誤魔化そうとする者はなかった。日頃の狭い心も不平も、このときはどこかへ投げやった人間のみになっていた。そして一つかみの酒代を持つと、さながら生れ変った人間のようになって、各々脱兎のごとく自分自分の仕事の持場へ駈け出していた。
 力づよい鍬や鋤を入れるひびきが満地に起りだした。
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■信長と家康の関係

<本文から>
 「これより前に、秀吉との打ち合わせもあって、彼は近日、自身中国へ出消し、中国もまた甲州のごとく、一挙に席巻し、一気に統治の実をあげてしまおうと、息信忠もつれてゆく予定で安土へ呼び、今や出陣の準備に忙しい最中であったのである。
 − にもかかわらず。
 ひとたび安土の大官として家康を待つや、それらの大事も地って、心から客を迎え、また全家中の臣もことごとく、その接待のために用いて、
 「最善をつくせよ。お客をして寸毫の不興もあらしむるな」
 と、ほとんど軍令と異らない意気をもっていいつけた。
 宿舎の結構、調度の善実、朝暮の佳酒珍膳など、もちろんのことだが、信長が家康にうけてもらいたいものは、やはり市井人の長屋交際とか、田舎人の炉辺の馳走とも違わない、その「物」よりは「心」であったこというまでもない。
 信長にこの「こころ」があったればこそ、二十余年の同盟がこの乱世に完うされて来たともいえよう。また家康のほうからいわせれば、悼む味方としては、ずいぶん気骨の折れる相手だが、時によってのわがままも、得手勝手も、皮を剥いた信長の真底には、利害一てんばりのみでない、真実と呼び得るもの。−それがあるのを知っているので、稀には、三斗の酢を呑まされるようなことがあっても、まずまずと、飽くまでこの人を立て、この人に従いてゆこうという気もちを持ち続けたものであろう。
 そうして、この両者の、同盟二十余年間のうち、いずれが得をし、いずれが損をなしたかを、極めて第三者的にながめるならば、それは両方の得であったといい得る。
 もし、青年立志のとき、早くから、信長が家康を盟友としていなかったら、今日、安土の府の厳存を見ることなど、思いもよらないし、またもし、家康が信長の援助を得ていなかったら、その生い立ちから栄養不良の児みたいであったあの弱小三河の国が、よく以後の四隣の圧迫に耐え得てきたかどうか。たとえば、長篠の一戦を考えてみただけでも、猛虎のまえの一片の餌でしかなかったのではないかと思われる。
 心交と利害。こう二つの結びあいを離れて、さらにふたりの性格を箇々にながめてみると、なおその友誼を完うし合った底に、津々たる両者の人間の味が噛みしめられる。
 一言にしてそれをいえば。
 信長には、用心ぶかい家康などには、到底、空想もなし得ない経給の雄志と、壮大極まる計画があった。理想に伴う実行力があった。
 これを反対に、信長から家康を観るに、自分の持たない特徴を多分に持っていることを認めていたにちがいない。辛抱づよい、困苦に耐える、奢らない、誇らない。また繊田家の宿将とのあいだにも、かりそめに摩揮を起さない。分を知って野望をあらわさず、よく内に蓄えて、同盟国に危うさを気労わせない。
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■光秀が逆心を抱いた十日間

<本文から>
 どれもこれも、その解釈するところを聞けば、なるほどと領ける説ばかりである。では、それらのうちのどれか一説が真に光秀の本心とその変化を云いあてたものかといえば、これまた一概にそうだと決定し得ない理由も他にないことはない。
 およそ深秘なものは人のこころのうごきである。あの聡明と年配の分別をもちながら、敢えて晩節の生涯を逆賊の名に堕し去るの盲挙をなさしめたその原因が何であったか? −という謎と同様に、彼の変心一が、いつの日いかなる時にということは、おそらく彼の胸にとり憑いた魔もの以外にそれを知ることは困難だといってよかろう。
 けれど、今日までの史家が、史証だけを頼って推定した以上幾つかの時機において、彼が逆心を抱いたとなすのは、なお軽率をまぬがれない。
 なぜならば光秀の心頓にとっては最も重視されなければならない安土退去の五月十七日の夜から、坂本滞留中の五月二十六日までの十日間というものは、従来、全く史家にも閑却されているからである。
 光秀の叛逆がまったくの暴挙で、長年にわたる計画の下に行われたものでないことは、前夜の事情と、作戦の踏襲によってこれだけは明確に断言してよい。
 −とすれば、彼の胸に、魔が憑いたのは、まさに安土退去の後だ。そのときの衝動こそ、彼の一代の修養も理性も微塵となって去喪していたものにちがいない。−帰国途上の坂本の増に逗留十日という空間は−かくして光秀の心理にとっては、朝に夕に、一刻一刻に魔となっては人に回り、菩提となりまた羅刹となり、正邪ふた道の岐路に、右せんか左せんかと夜も日も慄悩しつづけていたものに間違いはないであろう。
 いま、彼はその一日を、叡山へ登って行った。もちろんこの間といえ、彼の心は、寸時も一道に安まってはいなかった。行けども行けども、迷いの岐路を見くらべていた。
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■信長の最後

<本文から>
 枕をならべて討死した扈従の面々の骸をあわれと見やりながら、ついにそれらの者の死を生かし得ない刻々に取り巻かれて、信長もついに、
「今は」
 と、戦うを休め、蘭丸を外において、そこの一室へ退いたのであった。
「−内で、信長の声が聞えたら、信長が自害をとげたものと思え。空骸にはすぐ襖を積み火を加えよ。それまで敵をここへ踏み入らすな」
 蘭丸へ向って、信長はこう告げてある。
 杉戸の口は固い。四方の障壁にはまだ恙ない金碧の絵画が眺められる。どこからともなく薄煙は流れ入るが、火焔が伝わって来るには微かな遑がありそうである。
−死に就くのだ。あわてるには及ばない。
 誰か自分へいっているような心地がする。そこへ入るやいな、彼は四囲の熱気よりも喉の渇を焦けるように思った。そして崩るる如く、座敷の中央に坐りかけたが、思い直してすぐ一段高い長四畳ほどの床の間へ坐した。下は平常、臣下の坐るところと限られていたからである。
一杯の水を喉へ下ろしたという仮相を持って、彼はしかと精神を丹田に落着けるべく努めた。そのために膝を正し、姿をととのえ、平常ここにあって衆に君臨するときのままな自分を保とうとした。
 あらい呼吸が鎮まるにはやや達があったが、心は、
−これで死ぬのか。
 と自分でさえ疑われるほど平静であった。呵々と、一笑を発したいようなものすら覚える。
−おれも抜かった。
 と思い、光秀のきんか頭を想像してみても、いまは何の憤りも出ない。あれも人間だから怒ればこれくらいなことはやるだろうと思った。それにつけても自分の油断は嘲うべき一代の失策だったし、彼の怒りも愚かなる暴挙に過ぎないことを憐れんだ。あわれ光秀、汝もまた、幾日をおいて、予のあとを追わんとするや、と問うてみたい。
左の手に鎧通しの鞘を持った。右手でそれを抜いた。
−急ぐことはない。
 なお自分で自分に云い聞かせる。火はまだこの部屋に燃えついていない。
 瞑目した。
 すると、物心ついた少年時代から今日までのことが、それを千里の駒に乗って見て来るように頭に映った。
 それは非常に長い時間を要するかのようであるが、事実は一瞬の呼吸のうちに過ぎない。死なんとする刹那、人の生理は、異常な機能を働かせて自己の通って来た全生涯に、平常の追想に似た訣別をなすものらしい。
「悔いはない」
 信長は大声で云った。
 そして眼をひらくと、四壁の金泥と絵画は赤々と燦いていた。格天井の牡丹の囲も炎であった。
一声、悔いはないと、外にまで聞えたので、蘭丸はすぐ駈け入って来た。自綾の小袖は鮮血を抱いてすでに俯っ伏している。蘭丸は武者隠しの小襖を引いて柩へ納める如く信長の屍を抱え入れ、ふたたび静かにそこを閉めて、床の間から退がった。そして彼も屠腹すべく短刀をにぎったが、なおその室がまったく焔と化しきるまでは、らんらんたる眼をくばって信長の屍を守っていた。
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■信長と秀吉は他人の思うような単なる主従観念では決してない

<本文から>
 秀吉こそ、ゆるされるなら声をあげて泣きたい今であろう。
 信長にまみえたのは、年まだ十八歳のときからだ。その手で頭も撫でられ、この手で草履もつかんで仕えた人である。
 いまやその主君は亡い。
 信長と彼とのあいだは、他人の思うような単なる主従観念では決してない。血もひとつ、信念もひとつ、死生もひとつと期していたのである。はからずもその主はさきだち、われのみなお生命ある身かと、それをあらためて秀吉は意識するほどだった。
(−君はわれを知る。われを知り給うものまた君を措いて世にあらじ。本能寺に御最期の火裡一瞬、君の御心中に、われを呼び給い、われに遺託ありしこと必せり。われ秀吉、微身たりとも、君が怨念と遺託に、なんで応え奉らずにあるべきや)
 彼はひとりこの夜誓った。いたずらなる嘆きをいわなかった。それをいうならば、痛涙に身をただよわし、働実に血を吐いても、なお足らない。思うはただ死せる信長が、死の直前に、何を自分に遺命されたか−ということのみである。
 あきらかに、彼は主君の無念を知ることができた。日頃の主君に徴しても、いかにここまでの統業を半途にして世を去ることの残念であったかをも、側々胸に酌むことが出来た。
 −それを思うとき秀吉はたとえ寸分たりと嘆いてなどいられなかった。後図をいかにすべきやなど考えているいとまもなかった。身は中国にあるが、勃然、心はすでに敵明智光秀へ向き直っていた。
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