吉川英治著書
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     新書太閤記 6

■半兵衛が信長の命に背き官兵衛の子を救う

<本文から>
  前夜、届けがあったので、信長は待っていた。
 半兵衝を見るとすぐ、
 「めずらしや」
 と、いい、機嫌うるわしく、
 「よく見えた。もそっと、間近う寄れ。ゆるす、裾をとれ。たれか半兵衛に敷物を与えい」
 などと破格な宥わり方で、なお遠く平伏したまま恐催している半兵衛の背へ、
「病は、もう快いのか。播磨の長陣では、心身ともに疲れたことであろう。信長から診せに遣わした医者のことばには、当分、戦場は無理、少なくもなお、一、二年は静養を要すると申していたが…」
 かくばかり臣下に対してやさしい言葉をかけた例は、ここ二、三年来、珍しいことであった。半兵衝重治は、何か、欣しいとも悲しいともつかない戸惑いを心におぼえた。
 「勿体ないお宥わりです。戦いに参っては病躯、陣後に帰っては、碌々御恩に浴すのみで、何ひとつ、御奉公らしいこともならぬこの病骨へ」
 「いやいや、大事にしてもらわねば困る。第一には、筑前の力落しが思いやらるる」
「そう仰せ下されては、半兵衝、身の置きどころもございませぬ。本来、ここへ罷り出るさえ恐れある面を冒して、今日、お目通りをねがい出ましたのは、すでに去年−佐久間信盛どのをもって、わたくしまでお沙汰を下しおかれました、松寿丸どの打首の儀を、わたくし一存にて、今日まで」
 云いかけると、
「待て待て」
 信長は、遮って、半兵衝のことばなど、耳にもおかず、その傍らに、半兵衛とならんで手をつかえている少年へ、
「それか。於松とは」
「…御意にございまする」
「ううむ、なるほどのう。官兵衛孝高に似て、童形ながら、どこか違ったところが見える。たのもしい少年。 −半兵衝、この上とも、愛しんで与えるがよい」
「では。……於松どのの首は」
 半兵衝は、胸をあげて、信長を凝視した。もし今なお、この少年を打首にせよと、信長が云い張った場合は、死を賭して、その愚を諌め、その非を説破するの覚悟でこれへ来た彼であったのである。
−が、信長には初めから微塵そんな気色がないばかりか、いま半兵衝から直視をうけると、突然、哄笑して、自分から自分の愚をかくしもせずこういった。
「そのことは、もう忘れてくれ。実は信長自身、あとではすぐ後悔しておったのだ。なんと、わしば邪推ぶかい漢よ。筑前に対しても、官兵衛孝高に対しても間のわるいことではある。−しかしさすがは叡智な半兵衛重治、よくぞ予の命を拒んで、於松を斬らずにおった。よくこそと、実はそちの処置を聞いて、胸なでおろしておったのである。−何をか、汝に罪ありと問おうや。罪は信長にある。ゆるせ、信長の至らなかったことを」
 頭こそ下げないが−手こそつかえないが−信長は正直にいって、はやくその問題から話を逸らしたいような顔をした。
 −けれど半兵衝重治は、信長のゆるしに、易々として、甘んじるふうはなかった。
 (忘れおけ.水に流そう)
 信長はいったが、半兵衛は、むしろ歓ばない容子を示して、
「一たん仰せ出された儀を、このまま有耶無耶に過しては、あとあとの御威令にもかかわりましょう。父孝高の潔白と功に鑑み、松寿丸の打首は免じるが、然るべきよう子としても証を立てよ。また、この半兵衛が御命を違背した罪も、同様、みずから寸功をたてて償うべし−と、かように御意下されば、これに越す君恩はごぎいませぬ」
 と、心底のものを吐露するように、ふたたび平伏して信長の公明な仁恕を仰いだ。
 もとより信長の気もちも、そうありたかったことである。半兵衝はあらためて、信長からその寛大を得ると、
 「ようお礼を申しあげなさい」
 と、傍らの於松へささやいて、臣礼を訓え、そしてまた信長に向っては、
「両名とも、或いは、これが今生のおわかれとなるやもしれませぬ。弥栄の御武運を祈りおります。今日は先もいそぎますれば、これでお暇を」
 と、いった。信長は、解し難い顛をして、
 「今生のわかれとは異なことをいう。それでは重ねて予の意に反くというものではないか」
 と仔細を追求した。
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■信長と秀吉の親しい主従

<本文から>
 毛利と武田とでは、本来、その強味がちがいます。甲山峡水ば瞼なりといえ、瞼の破るるときは、一挙にして潰えの早いものです。武田譜代の士馬精鋭、なお数万騎ありましょうと、すでに信玄という支柱を欠き、内に和なく、各々、誇って譲るなく、しかもその人、その地の利には、文化に遠く、武器も戦法も、はや時代遅れといってよいでしょう」
 「中国におりながら、そちは却って、甲州方面の機微に詳しいようではないか」
 「おのれを知り、敵を測るためには、どこの国とも睨みあわせておらねばならぬ必要からす。武田に比せば中国の毛利というものは、なかなか賢く亡ぼし去ることはできません」
「そんなに根づよいか」
「海運の利巧.海外からの文化、殊には物資にもめぐまれ、人は鋭感でまた智的です。加うるに、その生かを内にもちながら、故毛利元就が遺訓はまだ一族に生きていますから、ただ武力一途でそれを絶滅せんなどは思いもよりません.−戦いつつ、攻めつけつつ、お味方もまた彼に劣らぬ文化と政略を布いて、土着の領民をも悦服せしめてゆかぬことには、ただ一城一城と戦い取っても、結局、さいごの勝利−真の戦果は、掴むことができますまい。……どうか、秀吉の戦い遅々として捗らずとも、ここ数年は、大洋を旅するごとく、風と波とに、おまかせおき下さるようひとえに御寛容を仰ぎまする」
 かくも親しい主従というものがあるだろうか。夫婦の仲というもおろか、刎頸の友といってもこれ程ではあるまい。
 信長も秀吉も、更けるを忘れている容子だった。このぶんでは、夜もすがら語っても語り冬きまい。− 部屋を隔てて控えている近習たちの顔いろに案じている色も出るほどだった‥」
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■信長は光秀へ意地悪くなる

<本文から>
−信長の眼は彼を見ていればいるほど、さっきからこうきびしくなっていた。酒気も手伝っていたろうが、無意識についそう観えてならないのである。
 ここにはいないが。
 秀吉を観る眼には、そういう感情を唆られる危険はなかった。家康を観るにしても、こうまで意地わるくはならない。
 それが、光秀のきんか頭に接しると、むらむらと、眼のなかで、ひとみが一変する。
かつては、決して、こうでなかった。いつのまにとも覚えない時の推移とともにこうなっていた。
 この時、かかる事件から、こう遽かに変った、という変り方でないのである。強いてその一劃期をさがすならば、彼が光秀へ感謝するの余り、坂本城を与え、亀山の本城を持たせ、惟任の姓をさずけ、むすめの嫁入りにまで世話をやき、逐次、出世を追わせて、丹後五十余万石に封じたりなど、優遇を極めた−その優遇の翌日あたりから−すこし彼の光秀にたいする眼は、前とちがって来たことはたしかだといえよう。
それともう一つは、こればかりは、光秀自身にしても、どう改めようもないその風采、人品などに、原因がある。いやしくも事を処理して過らない明晰なきんか頭の生え際の照りを見ると、信長の感情は、彼の性格的なにおいに向って、ひどく天の邪鬼な焦気が立ってくるのだった。
 だから、信長の意地悪な眼は信長から射向けるのでなく、光秀そのものが、自然に唆りたてるのだともいえないことはない。それは、光秀の聡明な理性が何かに光るときほど、信長の天の邪鬼が、言語や顔いろに現われるのを見ても分ることだった。これを公平にふたつ合わせて鳴った掌はいったい、右掌が先か、左掌が先か。そう第三者は見ていてもさしつかえない。
 ともあれ、今。
 滝川一益を相手にさりげなく話していた光秀のすがたへ、じつと注いでいた信長の眠は、すでに凡事と見えなかった。
 光秀は、気がついた。 − 無意識に何かはっとしたらしい。なぜならば、信長が、とたんに席を起ったからである。
「日向。これ、きんか頭」
 信長の足のつま先へ、光秀は面を伏せて慎んでいた。と、その首すじを、冷やかな扇の骨が二つ三つ軽くたたいた。
 「はッ。はい…」
 光秀の面色は、その酔も、きんか頭の額の照りまでも、さっと槌せて、土のように変じていた。
 「座を過れ」
信長の扇は、彼の頸すじから離れたが廻廊を指して、なお剣の如く見えた。
 「何事か存じませぬが、御けしきを損い、光秀、恐憫身のおき場も弁えませぬ。どこが悪いと、お叱りくださいましょう。この場にて、お叱りくださるも厭いませぬ」
 詫び入りながらも、彼は、平伏したまま、身を、こらせて、廻廊の広縁へさがった。
 信長も、そこへ出た。
 どうなることかと、満堂の人々は酔をさまし、口腔の乾く思いをじっと抱いていた。
  −どたっと、そこの板の間に大きなひびきがしたので、わざと、気のどくな光秀のすがたから眼をそらしていた諸将も、はっとして、室内からみな振り向いた。
 扇は、信長のうしろへ、投げすてられてある。
 見ると、信長は。
 こんどは手ずから光秀の襟がみをつかんでおられる。そして何かいわんとする光秀にその余裕を与えず、ずずずと圧して、廻廊の欄干まで押し詰め、もがく頭を、ごつごつ欄干に小突いていた。
 「−なんというた。日向。たった今、なんというたか。−われら、骨折りたる効あって、この甲州に織田家の兵馬が充満ちて見ゆるは、まことにめでたい日であるとな。 − 左様に申したであろうが」
 「も、もうしました…」
 「これッ」
 「…あ」
 「いつ、汝が骨折ったか。今日の甲州入りに、いかほどな殊勲をなしたというのか」
 「も、勿体ない」
「なに」
 「光秀、いかにお祝酒に酔いましょうとも、なんで左様な、騎りがましきことばを」
 「さもあろうず、そちに、折り得る理由はない。したが心の油断というもの、信長が興にまぎれ、耳をそらしておると思うて、つい不平を申したな」
 「畏れ多い。天地の神も御覧あれ。光秀、破衣孤剣の身より、今日の重恩をいただきがら、なんとて」
 「いうな」
 「お放しください」
 「放してやる」
 信長は突き退けて、
 「於蘭。水」
 と、大声で呼んだ。
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