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<本文から>
前夜、届けがあったので、信長は待っていた。
半兵衝を見るとすぐ、
「めずらしや」
と、いい、機嫌うるわしく、
「よく見えた。もそっと、間近う寄れ。ゆるす、裾をとれ。たれか半兵衛に敷物を与えい」
などと破格な宥わり方で、なお遠く平伏したまま恐催している半兵衛の背へ、
「病は、もう快いのか。播磨の長陣では、心身ともに疲れたことであろう。信長から診せに遣わした医者のことばには、当分、戦場は無理、少なくもなお、一、二年は静養を要すると申していたが…」
かくばかり臣下に対してやさしい言葉をかけた例は、ここ二、三年来、珍しいことであった。半兵衝重治は、何か、欣しいとも悲しいともつかない戸惑いを心におぼえた。
「勿体ないお宥わりです。戦いに参っては病躯、陣後に帰っては、碌々御恩に浴すのみで、何ひとつ、御奉公らしいこともならぬこの病骨へ」
「いやいや、大事にしてもらわねば困る。第一には、筑前の力落しが思いやらるる」
「そう仰せ下されては、半兵衝、身の置きどころもございませぬ。本来、ここへ罷り出るさえ恐れある面を冒して、今日、お目通りをねがい出ましたのは、すでに去年−佐久間信盛どのをもって、わたくしまでお沙汰を下しおかれました、松寿丸どの打首の儀を、わたくし一存にて、今日まで」
云いかけると、
「待て待て」
信長は、遮って、半兵衝のことばなど、耳にもおかず、その傍らに、半兵衛とならんで手をつかえている少年へ、
「それか。於松とは」
「…御意にございまする」
「ううむ、なるほどのう。官兵衛孝高に似て、童形ながら、どこか違ったところが見える。たのもしい少年。 −半兵衝、この上とも、愛しんで与えるがよい」
「では。……於松どのの首は」
半兵衝は、胸をあげて、信長を凝視した。もし今なお、この少年を打首にせよと、信長が云い張った場合は、死を賭して、その愚を諌め、その非を説破するの覚悟でこれへ来た彼であったのである。
−が、信長には初めから微塵そんな気色がないばかりか、いま半兵衝から直視をうけると、突然、哄笑して、自分から自分の愚をかくしもせずこういった。
「そのことは、もう忘れてくれ。実は信長自身、あとではすぐ後悔しておったのだ。なんと、わしば邪推ぶかい漢よ。筑前に対しても、官兵衛孝高に対しても間のわるいことではある。−しかしさすがは叡智な半兵衛重治、よくぞ予の命を拒んで、於松を斬らずにおった。よくこそと、実はそちの処置を聞いて、胸なでおろしておったのである。−何をか、汝に罪ありと問おうや。罪は信長にある。ゆるせ、信長の至らなかったことを」
頭こそ下げないが−手こそつかえないが−信長は正直にいって、はやくその問題から話を逸らしたいような顔をした。
−けれど半兵衝重治は、信長のゆるしに、易々として、甘んじるふうはなかった。
(忘れおけ.水に流そう)
信長はいったが、半兵衛は、むしろ歓ばない容子を示して、
「一たん仰せ出された儀を、このまま有耶無耶に過しては、あとあとの御威令にもかかわりましょう。父孝高の潔白と功に鑑み、松寿丸の打首は免じるが、然るべきよう子としても証を立てよ。また、この半兵衛が御命を違背した罪も、同様、みずから寸功をたてて償うべし−と、かように御意下されば、これに越す君恩はごぎいませぬ」
と、心底のものを吐露するように、ふたたび平伏して信長の公明な仁恕を仰いだ。
もとより信長の気もちも、そうありたかったことである。半兵衝はあらためて、信長からその寛大を得ると、
「ようお礼を申しあげなさい」
と、傍らの於松へささやいて、臣礼を訓え、そしてまた信長に向っては、
「両名とも、或いは、これが今生のおわかれとなるやもしれませぬ。弥栄の御武運を祈りおります。今日は先もいそぎますれば、これでお暇を」
と、いった。信長は、解し難い顛をして、
「今生のわかれとは異なことをいう。それでは重ねて予の意に反くというものではないか」
と仔細を追求した。 |
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