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<本文から>
地勢険悪、自然の力には人も流し得ませぬ。−また、敵もおめおめと見てはおりませぬ。必然、無数の犠牲の者を出して、結果は遂に、不成就に終ること火を見るよりも明らかかと思われます」
勝家の意見につづいて、
「同様に考えられます」
「柴田穀の御意見、至極と思われます」
「自分儀も」
「てまえも」
などと述べるのが大多数であった。信長は、むむ − と唇をむすんでしまう。気に入らないのだ。しかし、衆智は、自分の考えに合致しない。無謀という勝家の説に、ほとんどが、同意見らしい。
老臣林佐渡も。
一族の織田勘解由も、名古屋因幡守も。− 佐久間も、丹羽も。
その衆智へ糺しながら、実は信長の心こそ、衆智へ合致しないのであった。衆智はいつも常識である。信長が欲しているのは、一見常識らしい常識ではなく、もっと飛躍した智慧の新鮮を求めているのである。
新しい智慧も、またすぐ常識化してしまうが、信長はそうした経験ずみの智識をもって常識家ぶる者の多い衆智に、いつも飽き足らないのであった。
その問題の洲股というのは、尾濃の国境で、実濃の攻略には、どうしてもこの辺の要害に、織田の足溜りが欲しいところなのである。
雪が解けて、二月に入ると、ふたたび美濃入りの征軍は、続々、国境へさし向けられていた。
十九条あたりに兵を置いて、時折、敵の虚を窺い、諸所に放火したり、奇襲的な小さい効果を狙っては、引き揚げて来たりしているが、そんな程度では、義寵亡く、寵興暗愚なりといっても、大国美濃は微動もしないのである。どうしても、確固とした要害を占めて、腰をすえてかかるためにも、洲股に味方の一城が欲しいのであった。
だが、いかに砦造りでも、一城はそう簡単には築けない。しかも敵国の目前でする仕事だし、一朝雨でも降り続けば木曾川と洲股川の両大河は氾濫して、忽ちそこらは洪水となってしまう地形でもある。−そんな機を敵に計られて大挙襲いかかって来られたら、援兵は間にあわないし、よしや援軍が来たところで、どうしようもなく全滅となってしまおう。
−というのが勝家らの唱える常識であった。常識はいつも動かし難い真理のように、知識人の雄弁によってよけい論陣の楯になった。
一応、意見として、聞いている顔はしていたが、信長は、勝家などのいう理論に、決して肯定したのではない。
むしろ不満であった。方程式の常識論など聞く耳は持たぬ、といったような風さえ窺える。
しかし、信長には、信念はあっても、彼らの常識論を云い破るだけの論拠が見つからないらしかった。単に不満なる意思を面に溺らせるしかない沈黙であった。
「………」
当然、評議の席は、沼のように声をひそめてしまう。
勝家や林佐渡らの主張と、それに飽き足らない主君の顔つきとが、一同の口を封じてしまった如く、しばらく、しんとしていた。
「お。−藤吉郎」
突然、信長が、名をさした。
遥か、末席のほうにいた彼の顔を、信長の眼は、見つけたように呼びかけた。
「藤吉郎。そちの意見はどうなのか。遠慮なく、そこにて申してみい」
「はッ……」
返辞が聞えた。
しかし、上座の重臣たちには、それを振り向いても、姿が見えないほど、遠い末席であった。
「申してみい」
重ねて信長がいう。
自分の意思を、自分に代って述べそうな者は、信長の眼で、この大勢の家中にも、彼しかなかったのであった。
「柴田様、林様、その他、重臣方の御意見は、さすがに事理分明、ごもっともな御意見と拝聴いたしました」
藤吉郎は、そう云いながら、席から少し摺り出して、信長のほうへ、両手をつかえていた。
「−なれど、人の思慮に及ぶ程のことならば、敵も測って、対策をいたしますゆえ、兵法とは申されませぬ。敵の予測し得ない上に出て戦い、敵の思慮の及ばぬ所に備えをするのでなければなりません。−その点から、洲股の築砦は、断じて、打つ手だと思います。水を恐れては、河に築城はできません。敵を恐れては、敵国へ討ち入ることはできません。誰の眼にも、至難、無謀と見えることをも、至難でなく、無謀でなく、人智と誠をもって、行い通してゆくところに、御勝利があるものと存じます」
「うむ。……むむ!」
信長は、何度もうなずいた。 |
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