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<本文から>
信長は、心のうちで、
(この男、使える)
と、思ったらしく、鞍つぼを叩いて、
「いみじくも申した。信長の見るところと合致する。即座に、旗本へ加わり候え」
「はッ、忝う存じます」
甚内は、人数のうちへ、飛び込んだ。道はやや低く、だんだん畑を駒の頭下がりに駈けなだれた。
一条の河があった。
水は浅く、踏み渡るのも惜しいほど澄んでいた。信長は、顧みて、
「この河の名は?」
訊ねると、汗と埃を寄せ合って蔆めきつづく旗本の中から、毛利小平太が、
「扇川にて候」
と、答えた。
信長は知っていたが、わざと答えさせたのである。さッと軍扇をひらいて、後方へ振って見せた。
「末広川か。さい先よし。かなめも間近ぞ。渉れ渉れ」
死地へ向かって、急いでいるとは知りながら、何か、華々しくさえあって、後髪を引かれるような暗い心地は少しもしないのである。
ふしぎなのは、信長という大将のそうした魅力であった。彼に従いて行く千余の人間は、ひとりも生きて帰ろうとはしていないのに、なぜか、絶望的ではなかった。
絶対の死と。
絶対の生と。
それは二つで一つだった。信長は、誰もが最も迷いやすいその二つの手綱を一つ手につかんで先へ駈けていた。兵の眠から信長の姿を見ると、それは勇敢な死の先駆者にも見え、また大きな生と希望の先達とも仰がれた。いずれにしても、この人の後に従いて行くからには、どういう結果になっても、不平はないという固いものが一軍を貫いていた。
死のう。死のう。死のう!
藤吉郎すらも、それしか、頭の中になかった。 |
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