吉川英治著書
ここに付箋ここに付箋・・・
     新書太閤記 1

■秀吉が好かれる理由は典型的な日本人だから

<本文から>
  民衆の上にある英雄と、民衆のなかに伍してゆく英雄と、いにしえの英雄たちにも、星座のように、各々の性格と軌道があった。
 秀吉は、後者のひとであった。
 生れおちた時から壮年期はいうまでもなく、豊太閤となってからでも、聚楽桃山の絢爛や豪塁にかこまれても、彼のまわりには、いつも庶民のにおいが盈ちていた。かれは衆愚凡俗をも愛した。
 かれは自分も一箇の凡俗であることをよく弁えていたひとである。かれほど人間に対して寛大な人間はなかった。人間性のゆたかな英雄はと問えば、たれもみなまず指を秀吉に屈するのも、かれのそういう一面が、以後の民衆の間に、ふかく親しまれて来たからではないだろうか。
おそらく秀吉への親しみは、この後といえどかわるまい。理由はかんたんである。かれは典型的な日本人だったから。そして、その同身感から好きになる。わけてかれの大凡や痴愚な点が身近に共鳴するのである。
 日本人の長所も短所も、身ひとつにそなえていた人。それが秀吉だともいえよう。かれの長所をあげれば型のごとき秀吉礼讃が成り立つが、その方は云わずもがなである。われわれが端的に長所をかぞえたてたりすれば、かえって彼という人間の規格は小さくなる。かれの大きさとは、そんな程度のものではない。
 ゎたくしのこの「新書太閤記」は、まだ秀吉の大往生までは書けていない。彼も英雄というものの例外でなく、晩年の秀吉は悲劇の人だ。大坂城の斜陽は"落日の荘厳"そのものだった。私はむしろ、彼の苦難時代が好きである。この書においても、秀吉の壮年期に多くの筆を注いだのは、そのためだった。また、ひとり秀吉だけの行動を主とする太閤記でもありたくなかった。少なくとも、信長出現以後、天正・慶長にまでわたる無数の榮星、惑星の現没にも触れてゆきたい。特になお、家康が書けていなくては、太閤記は完しといえないと思う。
 むかしからある多くの類本、川角太閤記、真書太閤記、異本太閤記など、それから転化した以後の諸書も、すべてが主題の秀吉観を一にして、彼の性情を描くのに、特種なユーモラスと機智と功利主義とを以てするのが言い合わせたように同型である。
 かつての太閤記作家もみな、秀吉の人間とは、なかなか、真正面に組みきれなかったことが分る。わたくしはそういう逃げ方はしまいと思った。わたくしの力不足はわかっているが、彼もまた、わたくしたちと同じ血と凡愚をもっていた一日本人であったという基本が、何よりも著者の力であった。
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■母、姉の思いの秀吉

<本文から>
  美味そう食物、豊かそうな家、絢爛な武具、馬具、衣裳、宝などを売っている店−彼には縁のないあらゆる物資がこの町には軒なみに積んである。
 中村の家にいる姉のおつみの青い痩せた顔を思い浮かべると、饅頭屋の蒸籠から立つ湯気を見ても、
(姉やにも買ってやりたいなあ)
 と思い、老舗の薬屋の前を通っては、
(おっ母に、あんな薬をいつもやれたら、もっと丈夫になるだろうに−)
と、そこの薬毒に見恍れたりした。ただ筑阿弥のことだけは、べつにどうとも、考え出されなかった。
(おらが偉くなれば)
と思う底には、世間の誰と見較べても、余りにみじめな、母とおつみとを、幸福にしてやりたいという気持も、多分にあった。
−で、彼は城下へ来ると、ふだんの望みや空想が一ばい大きく強く燃えて、
 「今に! 今に!」
と心でつぶやき、
 「どうしたら。どうしたら」
と、それのみ思って、いつも歩きつづけるのだった。
「ばか者っ」
と、日吉はふいに、人ごみの中でどなられた。繁華な辻を曲りかけた途端である。
乗換馬を曳かせ、槍を持った供の者を、十人以上もひき連れた馬上の侍に、手車をぶつけてしまったのである。
わら葛に巻いてある鉢だの皿だのは、くずれ落ちて粉々に砕けたし、日吉の体も、手車と一緒に蹌めいた。
「盲かっ」
「うつけ者めが」
 馬も、従者も、砕けた瀬戸物の上を、そう罵りながら、ばりばり踏んで行ってしまう。往来の者も、誰ひとり、寄って来てはくれなかった。
 割れた欠片を、拾いあつめ、また、手車を押して歩きながら、彼は人中の間のわるさと、憤りに血を熱くして、
「どうしたら彼奴らを、おらの前に土下座させてやれるだろうか」
 と、幼稚な空想のなかで−しかし真剣に思いつめた。
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■識らないことを識る楽しみ

<本文から>
 勿論、日吉にも、たくさんな慾望がある。殊に、もう十七歳の若者だ、胃ぶくろは、喰っても喰っても食い足らない気持だし、大きな屋敷を見れば、あんな屋敷に住んでみたいと思い、豪華な武家の身装を見れば、自分の身装が顧みられ、実しい女達を見れば風のなかの香を強く感じる−
 とはいえ、どんな慾望を思うよりも先に、母を幸福に−という念願が、常に前提として彼にはあった。だから彼は、その第一の希望が達しられないうちに、自分の欲望を先に満たそうとは思わなかった。
 それにはまた、彼には彼のみの、べつな楽しみがあったから、物の慾には我慢も出来たということもいえよう。その楽しみというのは、流浪の行く先々で、飢えを思う遑もなく、
 =識らないことを識る。
と、いう楽しみだった。
 世間の機微、人情、風俗。− それから時勢の相だの、諸国の武備だの、百姓町人の生活の様だの。
 武者修行する者は、応仁頃から室町の末になるほど、流行もののように、多くなって来たが、日吉も、ここ一年半ばかりは、ちょうど、それと同じような辛苦と生活をして歩いて来た。
 けれど彼は、武術を目がけて、長剣を差して歩いて来たのではない、わずかな金で、問屋から針を仕入れ、木綿針や絹針を小さなたとうに包み、それを行商しながら、甲州、北越のほうまで歩いて来たのだった。
 (−針はいらんか、京の縫針じゃ。買うておかんか、木綿針、絹針、京の縫針)
 日吉は、諸国の町を呼び歩きながら、わずかな利で、生きて来た。
  しかし。
 零細な針売りの利益で口は喰べても、針の穴から世の中を見るような、小さい人間にはならなかった。
 小田原の北条。
 甲州の武田。
 駿府の今川だの、北越の城下城下などを、ずっと見て来て感じたことは、
 (今に、世のなかは、大きく揺れだして、大変な変り方をするぞ)
と、いうことだった。
 今までの、小さな、内輪揉めみたいな戦乱とちがって、日本全体の姿勢を立て直すような、正しくて大きな戦争が、これから起るという予感だった。
 (−すると、俺だって)
と、密かに、彼は思った。
 (俺は若い、これからだ。−世のなかは、足利幕府の、年寄の仕事にだれてしまい、混乱してしまい、老表してしまっている。若い俺たちを、世のなかは待っている!)
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■家からも金もない秀吉は忠実=なりきることに徹する

<本文から>
 「猿。−誰が参っても、森へ入れるな。おれが許すまでは」
 小六は、いいつけて、内記と共に、森の中へはいって行った。
 森の中の二人の会見に、どんな密談が交わされたか、密書が開かれたか、日吉には知るよしもなかったし、知ろうとする気ももとよりなかった。
 彼はただ、忠実に、森の外に立って、張番していた。
 使いに行けば使いに。庭掃除になれば庭掃除に。張番に立てば張番に。−彼は持った仕事の人間になりきった。
 彼に限っては、どんな仕事でも仕事を愛することが出来た。それは、貧しく生れたからばかりではない。現在の仕事は、常に、次への希望の卵だったからである。それを忠実に抱き、愛熱で孵す時に、希望に翼が学えて生れることを、彼は知っていた。
(今の世のなかで、身を立てるには、何がいちばん大事か)
 日吉は、考えてみたことがある。
 それは、系図だ。家がらだ。
 しかし、彼には、それがない。
 家がらの次には、いうまでもなく、金と武力だが、その二つも、彼は持たない。
(では、何をもって、おれは世に出たらいいか)
 と、自分に訊ねてみると、悲しいかな、肉体は、先天的に矮小だし、健康も人並より優れていないし、学問はないし、智慧は当り前だし…一体、何がある?
 忠実。
 それしか、考え出せなかった。それも、何を忠実に、などと考え分けてするのでなく、何でも忠実にやろうと決めた。忠実なら、裸になっても、持てると思った。
 だが、その忠実を、どういうふうに行ってゆくか、と自問自答して、
−なりきる
というところへ、彼の肚が据った。どんな職業でも、与えられた天職に、なりきってやろう。庭掃除でも、草履取りでも、厩掃除でも、なりきってする!
 将来の抱負をもっていても、その希望のために、現在の足腰を浮かすまい。
 現在から遊離して、将来があるわけはない。希望は、なりきっている下っ腹において、上面に出すものではない。
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