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<本文から> 器−
こればかりは、生れついた量を、急に、大きくさせようとしても、どうにもならぬ。
家康も器。秀吉もひとつの器−この対照が、このいくさを、決定する。
長久手の総くずれを聞いたとき、秀吉は、実は、しめたと、手にツバしたほどだった。家康が、かたい殻を出たので、勝入父子の討死こそ、家康を生け捕る好駒になったぞ−と思ったからであった。
ところが、敵は、火のごとく出て、風のごとく去り、去るや林のごとく、また小牧へ退いては、泰然と、前にもまさる山岳の重きを見せてうごかない。
秀吉は、脱兎を逃した感じだった。だが、かれはみずからなぐさめた。
「ちょっとした指の怪我ではあったよ」と。
たしかに、かれの兵力と物質上には、大した損害でなかったにちがいない。しかし、 精神的には、家康の陣営をして、
「猿面公。いかがでおざる」
と、いわぬばかりな凱歌のほこりを揚げさせた。
いや、この黒星は、その以後の長い − 秀吉と家康とのあいだにかかる交渉と、両者の心理に、生涯なんとなく、胸のうちに継続していた。
しかし、家康もまた、
「筑前という人間は」
と、いよいよかれを見るに、大器量の男となし、それを向うにまわした自己の宿命に、ふかく意を用いずにいられなかったろう。
とにかく、長久手半日の激戦以後は、どっちもまた大事をとって、ひたすら一万のうごきを見、その機に乗じようとする呼吸ばかりで、かりそめにもヘタな攻撃はいずれもやらない。
誘いは、くり返された。 |
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