吉川英治著書
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     新・水滸伝4

■高キュウが征伐軍を編成

<本文から>
 「目下、陳州練兵場で指揮官をしておる韓沼。これは百勝将軍とよばれていますが」
「ほかに」
「もうひとり、あだ名を天目将軍とよばれ、今、穎州の練兵指揮をやっている彭き。この二人を左右の腕にもてば、たとえ水泊の草冦など何万おろうと、不日、きれいにかたづけてごらんにいれる」
 朝を退出してきた晩の総理邸での話だった。高キュウと彼とはあくる日、禁軍の練兵場で閲兵をすまし、その足で枢密院へ行き、すぐ軍機の相談となったあとで、
「−陳州の韓滔、頴州の彭キ、その二軍人へ、ただちに召致の内命を発していただきと申し入れた。そしてこの両名もやがてまもなく着京した。あとは兵数如何。また装備如何。それ余しているのみだった。
 兵員は呼延灼として、騎兵三千、歩兵八千、輜重工兵二千五百、伝令及び物見組約五百。すべてで一万四千人を要求した。
 「よろしい。むしろ少数に過ぎはせんか」
 と、高キュウはちっとも驚かない。だが一驚を喫したのは装備の方の請求だった。
 よろい三千領、かぶと五千箇、かたな、長槍三千余本、鉾、なぎなた五千丁、弓、楯などは数知れずだ。このほか火砲、石砲、戦車。さらに禁軍武器庫に眠っていた大量な″網鎖の馬鎧″までぞッくり装備に積んで行った。
 そしてこの呼延灼、韓滔、彭キの三大将軍がひきいる三軍、あわせて一万四千の豼貅(猛兵)がいよいよ都門をたつ日の旺な光景といったら形容のしようもない。凌雲閣上、天子もみそなわし、衛府以下八省の官人、満都の群集も堵をなして、花を投げたり爆竹を鳴らしたりした。あわれむべし、ここの庶民は、梁山泊が庶民の味方とは何も知っていない。ただ聞くがまま残忍無比、鬼畜同様な乱械とのみ聞いている。
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■降人の呼延灼を味方に

<本文から>
 城内の街々はまだ余塵濛々の騒ぎである。−だが早くも、街角には、宋江が立てさせた″撫民ノ制札″が見られ、一部では城壁の消火につとめ、また一隊の泊兵は、罷災民を他にまとめて、それには米や衣服やかねを見舞にめぐんでやっている。
 役署の穀倉は開かれ、奪いとった金や衣は山をなし、良馬二石余頭も、一カ所につなぎ出された。宋江はこれの半分を梁山泊へ輸送させ、
「あとは窮民に領けてやれ」
と、土地の長老五人をえらんで、その者たちに処理を托した。−そして、即日、
「長居はまずい。梁山泊へ」
と、すぐ全軍を青州から引き揚げにかからせたが、その途すがらも、秋毫犯すことない徳風を慕って、郷村の老幼男女は、みな道にならび、香を焚き、花を投げて、歓呼した。
「…ああ、うそではない」
 呼延灼は心中、つくづく、途上で感じていた−。
「かつては自分も、禁軍三万をひきつれて、征途のみちを、こうして行軍したものだが、まだいちども田野の郷民が、こんなに王軍へ歓呼するような景色に出会ったことはない…。これがまことの野の声というものか」と。
 さらに彼は、梁山泊でも驚いた。
 その規模の大は、さきに彼が攻めあぐねた時から分っていたが、内部の秩序、また宛子城の大会議に集まった漢どもの、いずれも一トかどな面だましいに、今さらの如く、ひそかな舌を巻いたのだった。
 総統の晃蓋以下、従来の名だたる面々はいうまでもない。特にこのたびの凱旋では、新たな降人、呼延灼をはじめ、二寵、白虎、桃花の三山から− 魯智深、武松、青面獣、施恩、曹正、張青、孫二娘、周通、孔明、孔亮−しめて十二名の新加盟者も居流れていたことなので、そのありさまは、なんとも壮観のかぎりであった。
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■梁山泊が百八人になる

<本文から>
 「はからずも、東平、東昌の二府を討って、幾人もの人傑を新たに迎え、また、稀代な神馬が二頭も手に入るなど、まことに天の冥助、奇瑞としか思われん。されば天をおそれて、無事の民を、このことで苦しませてはなるまい。良民の助けを急ぎ、そのうえで山へひきあげよう」
 異論はない。全軍は府へ入って、城中の官倉を開放し、民生を励まし、窮民をいたわり、余るところの銭糧はこれを車馬に積んで水瀞の秦へ持って帰った。
 かたのごとく、山では山じゅうの凱旋祭りと、忠義堂では、主なる頭分だけの祝宴がもよおされ、乾杯にいたって、宋江が、そのあたまかずを数えてみると、まさに百零八人となっていた。
「百八人!」
 彼は、この数にふと、なにか、天扉の神鈴を聞く気がした。
 そこで彼は一同へ告げた。「何かは知れず、油然といま、いま胸に抑えがたい感慨がわいた。天意が私を通じていわしめるものかもしれない。−しばらくご静聴ねがえようか」と。
 「おう、仰っしゃってください。なにごとでしょうか」
 一同は、襟をただした。
 「ほかでもありませぬが」
  と、宋江は満座を見ていう。
 「いまふと、かぞえてみるに、いつかここに相寄ッてきた数奇なる運命の漢どもは、まさに百八人に達している。宿縁、まことに奇と申すしかありません」
 「……」
 ああそうだったのか。百八人になっていたのかと、急に自他を見まわして一同もまた粛と、感慨に打たれたようなふうだった。
 「……が、このうちには、ただひとり欠けた人があった。前の統領、托塔天王ノ晃蓋です。しかしいま思えば、それも上天の意だったものでしょう。われらを冥界から見まもってくれるために…。さもなくんば、白業黒業、さまぎまな難を経つつかくも百八人がつつがなく一優に揃うようなことはないでしょう。ひとえに神明の加護によるものと私は思う」
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