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<本文から>
「目下、陳州練兵場で指揮官をしておる韓沼。これは百勝将軍とよばれていますが」
「ほかに」
「もうひとり、あだ名を天目将軍とよばれ、今、穎州の練兵指揮をやっている彭き。この二人を左右の腕にもてば、たとえ水泊の草冦など何万おろうと、不日、きれいにかたづけてごらんにいれる」
朝を退出してきた晩の総理邸での話だった。高キュウと彼とはあくる日、禁軍の練兵場で閲兵をすまし、その足で枢密院へ行き、すぐ軍機の相談となったあとで、
「−陳州の韓滔、頴州の彭キ、その二軍人へ、ただちに召致の内命を発していただきと申し入れた。そしてこの両名もやがてまもなく着京した。あとは兵数如何。また装備如何。それ余しているのみだった。
兵員は呼延灼として、騎兵三千、歩兵八千、輜重工兵二千五百、伝令及び物見組約五百。すべてで一万四千人を要求した。
「よろしい。むしろ少数に過ぎはせんか」
と、高キュウはちっとも驚かない。だが一驚を喫したのは装備の方の請求だった。
よろい三千領、かぶと五千箇、かたな、長槍三千余本、鉾、なぎなた五千丁、弓、楯などは数知れずだ。このほか火砲、石砲、戦車。さらに禁軍武器庫に眠っていた大量な″網鎖の馬鎧″までぞッくり装備に積んで行った。
そしてこの呼延灼、韓滔、彭キの三大将軍がひきいる三軍、あわせて一万四千の豼貅(猛兵)がいよいよ都門をたつ日の旺な光景といったら形容のしようもない。凌雲閣上、天子もみそなわし、衛府以下八省の官人、満都の群集も堵をなして、花を投げたり爆竹を鳴らしたりした。あわれむべし、ここの庶民は、梁山泊が庶民の味方とは何も知っていない。ただ聞くがまま残忍無比、鬼畜同様な乱械とのみ聞いている。 |
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