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<本文から>
「とんでもない」
宋江はかたく辞退した。
「わたくしは、諸兄のために、からくも一命を助けられ、ただ恩に浴して、そのうえ徒食しているに過ぎぬ者、どうかあるじの座には、晁蓋大人をすえて下さい。わたくし如きは、到底その任ではない」
とばかり、何と一同が推しても、ききいれる色はなかった。
「では」
と統領の座には、結局、晃蓋が坐った。 そして二位に宋江、に位に軍師新郎、四位公孫勝と、すらすら衆議がすすんだので、宋江もついそこまでは否みかねて、受けてしまった。
そもそも、宋江はこんなつもりではない。
彼は漢を愛し、世を憂い、撼珂不遇な人間たちに、ふかく同情はしていたが、かりそめにも賊の仲間入りしようなどとは、ゆめにも思っていなかった。 − 官に仕えては、善吏といわれ、家にいては、よく老父に孝養し、書を読み、身をおさめ、かつ四隣の友や県民たちに、愛情とまことを尽くして、おだやかな生涯を愉しまん、としていたのが、彼の人生目的であったのだが人生如何に生くべきやも、それしかなかった人である。
ところが、こんな破目になった。いまは朝廷から不逞なむほん人と視られ、天地に身をいれるところはない。生きんとすれば、ただこの梁山泊の仲間、つちと、一土塊の小天地があるのみだった。
「では、以下の座順は、晁統領からご指名ください」
呉用のことばに、晁蓋は、
「おまかせねがえれば」
と、人物、年の高下なども、配慮して、名を呼びあげた。
−まず五座に、豹子頭林沖と。
それから順次。
劉唐、院小二、院小五、院小七、杜選、宋万、朱貫、自勝。
−以上を左の席として。
そして右側の列順には。
花栄、秦明、黄信、戴宗、李達。
また、李俊、穆弘、張横、張順、呂方、郭盛、粛譲、王矮虎、薛永、金大堅、穆春、李立、欧鵬、蒋敬、童威、童猛、馬麟、石勇、侯健、鄭天寿、陶宗旺−すべてで寨のかれ約紛咄これで四十人がかぞえられた。 |
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