吉川英治著書
ここに付箋ここに付箋・・・
     新編忠臣蔵(二)

■離縁する内蔵助

<本文から>
 「さらば、そちは、母の子になれ」
 「お父様も好きです。お父様とお母様と、いつまでも、一緒に暮していとうございます」
 「ならん」
 軽く、肩を押すと、吉千代はうしろへ転んだ。お陸は、われを忘れて、
「オオ、泣くな吉千代、お父様は、ちと御機嫌のわるい日じゃ。晩には、いつものお父さまに戻って、笑顔を見せて下さろうぞ」
 膝へ寄せて、涙の顔へ、涙の顔を摺りつけていると、
 「いや、晩はおろか、永劫に、左様な日はあるまい。長男の主税だけは、父の手許へとめおくが、その他の子たちは皆連れて、即刻、豊岡へ引き払うて行け!よいかお陸、屹度、申しつけたぞよ」
 「ともあれ、叔父御の小山様、従弟の進藤様などにもお相談い申したうえで。……のう、吉千代」
 「その進藤や、小山の叔父には、疾くに話してあること故、改めて其方から申し伝えるに及ばぬ」
 「えっ……では、それ程、御用意の上で」
 「うむ」
 深く−大きく頷いて−内蔵助は、じっと彼女を見ながら云った。
「多年、連れ添うては来たが、身を町人の境涯に落して見れば、家風に合わぬ其方、いつかは去ろうと考えていたのじゃ……」
 お陸は、もう涙をこぼさなかった。良人のそういう眼には、言葉とは反対な慈悲に満ちた、遠い思慮が、底の見えない湖のように澄んでいるのだった。女には測り難いものを深く湛えて。
「是非もござりませぬ……」
畳へ両手を落して、お陸がそう云うと、良人は、領いたようであった。−しかし、悲しい事ではあった。女として、母として、死ぬより辛い思いが胸を突き抜ける。
 ただ、良人を信じるほかはない!いや今日までもこの良人に対して、お陸は、微塵も疑ぐったことはなかった。この信念を、なぜ一刻でも胸から放したか。
 自分を叱り、自分を励ましながら、彼女は、涙を拭いて立った。奥のほうで大三郎が眼をさましたとみえ、乳房を求めて泣きぬいている。
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■刃傷沙汰は時流が起こした必然の事件であった

<本文から>
  だが、もちろん、以上のそれが、人間の全部ではない。
 やはり、人間は人間であろうとして、依然、畜生以上を衿持している人間もある。当然、ふたつの人種が、二潮流をここに作った。寒潮魚と、暖潮魚のように、それは一つ海に棲んでも、一つには交わり得ないものだった。
 たとえば。−と、内蔵助は、こんどの事件を、まったく、他人の事として思う。
 浅野内匠頭と、吉良上野介との、違いなども、その不幸は、この時潮が、いつか招くべきものを、たまたま二人が、与えられた舞台と機会をもって、しかも晴の式日に、晴の扮装をもって、演じてしまった宿命にすぎない。内匠頭ならずとも、いつかは一度、誰かが、やらずには済まなかったであろう。
 上野介が、主人への仕方や、彼の日常だの、彼の生活信条も、内蔵助には、よくわかる。決して、それは、世間外れな非常識というほどなものではない。むしろ彼の考え方には、彼と同意の味方がずいぶん多いであろう。いや、現世の大部分は、その方だと観て狂いはない。−まして、高家筆頭などという職名は、いわゆる位外れ、見得作れで、禄高は、気のどくな程、低いものである。ああでもしなければ、都会に住み、門戸も張り社交も人いちばい派手にして、暮してゆけるものではない。
 ましてや、彼は、江戸の中央にあってこそ、その職権や、時折の式典などを利用して、ずいぶん荒稼ぎもしたり、また、間にも、零細な利殖まで心がけて、収入に汲々たるものはあるが、ひとたび自分が、領主として、その知行所たる郷里の三州像須賀や吉良地方などへ臨むときは、よく領民を愛し、治水開耕の公共事業に心をつかい、よい殿様であり、よい御領主と崇められることを楽しみとしているような好人物の半面もある者だという。
 まさに、そこには、彼にも正しい人間がある。しかし、犬公方の膝下で、犬宰相や犬大名たちとつき合う時には、上野介も、犬高家となるに如くはなかった。それでなければ、彼がえがいているような家門の繁栄と生活は成り立たないからである。しかも、彼には人後に落ちないこう才があり、高家の職能は、時により、老中も大名も、ちぢみ上がらすことのできる犬牙にもなるのだ。
▲UP

■今の時潮にたいする反抗、単なる敵討ちにしない

<本文から>
  彼の心の帰結は、そこに落着いた。
 だから、藩中の一部にも、時の悪政や幕府批判は、常に、ひそひそ語られていたが、昼行燈は、いつも居眠っていた。田舎家老は、このくらいな燈芯が、ほどよいところ−と、している風に。
 だが、その燈芯は、掻き立てられた。
 彼の居眠りは、この春の、江戸早駕篭の運んできた悲報に、どやしつけられた。
 内蔵助は、いやでも、その信条とする「世の道にたがひなし」から、たがわねばならなくなった −と、自分に宣告した。
 主人内匠頭が、一挙に、その時外へ、飛び出してしまったからである。そして、その行為は、ひとり内匠頭一人の行為としてではなく、赤穂全藩の者−その抱えている妻女老幼にいたるまでの、すべての人間を一束にした者の行為として、断絶、離散という生活の剥奪に見舞われてしまったのだ。内蔵助とて、共同行為者のべつものではない。いや最大責任者のひとりである。
 かくては、彼も、この処理を、つけなければならない。亡君の行為を、意義あるものにし、つづいて自分たちの敢なき生命の辿る意義をも、求めてそこに行き着かねばならぬ。世人は、内匠頭の行為を、ただ「短慮」と片づけているけれど、その短慮の中には、まちがいなく今の時潮にたいする反抗がある。吉良上野介というかたちで示されたお犬様称呼殊にたいする自己の人間主張と云ってもよい。
 (犬め、われは、犬に非ざるぞ)
 内匠頂叫犬公方の殿中で、犬群臣のまッただ中へ、そう轍鳴ってしまったのだ。無意識な刃の下に、現世の悪法を、完全に無視し去ってしまったのである。−こう考えるとき、内蔵助は、心のそこから、ニコとした気持になった。あの君ならでは、そういう愚をやるほど純真な大名も、今ではなかろうと思うのである。
 −吾人は、犬以下ではない。人間である。
 亡君のこの意志を生かそう。また家なく禄なく、世を追放された同厄の自分たちは、現幕府の悪政が除かれない限り、世々の道ならぬ道と知っても、それを歩むしか術はい。
 世間の口はさまざまに云う。世間の眼はいろいろに視る。かたき打ちということばが、最も端的に、自分たちの将来を興味づけて見る合言葉にされている。が、内蔵助は、みずから自分をそれほど小さくはしていない。あの吉良という六十過ぎの老人−あの単純なる好々爺−それを討って、どれほどな事があろう。意義があるか。 すくなくも自分は、娼紛の生命にたいし、もっと大欲であると、内蔵助自身は蹴っていた。素朴なる人間の怨愛形式、古い、そしてその結果も、前例にいくつも見ている「かたきうち」などを以て、生涯の事業として大事な生命を終るほど、素朴正直でほないことを、彼自身は知っている。
▲UP

■吉良を討ち取る

<本文から>
 老人は、勢いよく一歩外へ出てから、べたっと坐ってしまった。
 上野介とは思わずに、武林唯七が、拝み込んで、一太刀浴びせた。
「……や?」
「……もしや?」
「そ、そうだぞ」
「吉良か」
 人々は、まだ半信半疑だった。
 白髪まじりの四方髪である。年ばえは六十あまり、絹の寝巻に、白小袖を下に着ている。懐中を検めてみると、肌神守として観音像と地蔵尊の二体が出て来た。
「さては」
「これこそ」
 もう皆、そう決めてかかるのだった。−しかし、実際に親しく上野介の貌を見知っている者は、この中に一人のいないのである。
「上野介どのならば、面のうちか、身のうちに、古傷がある筈」
 と、内蔵助が云った。
 額の生え際を一人がしらべて、
 「あるっ」
と云った。
 「あるかっ」
 「ある」
 「オオ……」
 「おお、その傷が……その額の古傷がそうか。亡君が殿中で斬りつゆ遊ばしたあの時の傷は」
 誰かの口から、亡君という一語が洩れると、一同は、急に胸さきがつまって来て、眼がしらに渦のようなものが沸った。
 ……しゅくッ。
 と、二、三名が鳴咽をすすった。肱を曲げて、顔へ当てる者を点ると、それを見た者も、倣えきっていた感情を突き破って、
 「おいっ!」
 「おうっ……」
 と、側の者にかじりついてしまい、お互いの肩へ顔をのせ合って、遂には、すべての者が、欣し泣きに、わっと号泣してしまった。−老人も泣いた、若い人々も泣いた。内蔵助すら、険へ、指先を当てたまま、やや暫く、暁の空の移りゆくのも知らなかった。
▲UP

■大望を仕遂げて様々によぎる思い

<本文から>
 正しく、犬以上のものである人間を発見した。同時に、それは自分の人間の発見でもあった。四つ辻や道傍にかたまっている無数の小市民の顔には、今更のように武士という階級に対しての新しい認識を持ち直し、そして黙っている中に、(やはりおれ達とは違う。いや、おれたちも実は、決して、畜生以下のものじゃない)と、何か日頃の町の人々よりほ、香気のある、より美しい、そして、尊敬に似た羨望すら感じながら、じっと、過ぎゆく浪人たちのほがらかな面や服装を、不思議なもののように見送っていたのであった。
 引上げの道順は、
 お船蔵の裏通りから永代橋へ−そして霊岸島−鉄砲洲−汐留橋−日比谷−仙石邸前−伊達家前−金杉橋−−。
 と経て泉岳寺へ行き着く予定。松坂町からそ。までは、ざっと、二里ほどの道である。
 「御老人、おつかれであろう。駕に召されい」
 内蔵助は、弥兵衛老人をふり向いてこう敬わった。老人は例の気性で、なあにと首を振ってあるきつづけていたが、若い人たちとの、足幅が一致しないので、お船蔵あたりから町駕へ乗った。
 原惣右衛門や、近松勘六や、神崎などの傷負の者も、すすめられて途中から駕にした。
 群集の聞から時折、浪士たちの縁故の者が駈け出して、手を取り合ったり、欣びの涙にくれたりしていた。仲間の人々も、路傍の人々も、そういう光景を見るたびに、どういう知合いかわからないのであるが、自分たちの身へ直かに迫って来ることのように、熱いものが胸から限頭へ突きあげて来るのであった。
 「鉄砲洲−」
 誰ともなく、こう呟くと、浪士たちの行列は一度、ぴたとそこで足を止めた。旧浅野家の上屋敷の門が思いがけなくも見えたのである。
 時の流れが、はっきりと胸へ映ってくる。もうその邸内には浅野内匠頭も過去の人だし、その君を中心として生きていた多くの藩臣と家族もみな、星霜の移りに乗って、すべてがこの門とは遠い彼方へ相を没していた。
 そのうちから、わずか四十六名だけが、ゆくりなくも今、大望を仕遂げてその報告をなすべく亡君の菩提寺へ引揚げる途中で−ふたたびこの門前を通ったのである。内蔵助は、憮然とながめて過ぎた。誰も彼も、さまざまな懐い出を、その門へ寄せながら通って行った。
▲UP

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