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<本文から> 「いや、さようなことではありませぬ。福原の焼け跡に、平家が残し去った石倉にあった物の由で、しかも、梶原自身が取り出したわけではなく、九郎の殿が、都へ持ち帰ったおびただしい分捕品のうちより、分け前として、九郎の殿から贈られた物なれど、武者に用なき品ゆえ、みだい所へ、献上申したいと、そのように、梶原は申しおりました」
「九郎が福原でかき集めた分捕品とな」
「はい」
「そのうちの一品か、これは」
「……と、梶原のことばではございますが」
「…………」
頼朝は黙った。
あきらかに、不快そうである。
弟の九郎義経にたいしては、自分が鎌倉を出ず、遠くにいるため、つねに関心をもっているらしい。なまじ弟という者だけに、果たして、追分の代官として、わがままをやっていないか、威をかりて、やり過ぎをしていないか、驕らないで、慎み深くいるかなど、ほかの諸将以上に、気もつかい、かれ自身が思いすぎにもなりやすいのであった。
時政には、その心の揺れが、すぐわかる。
大勢の眷属を抱え、内輪の揉めや、世の急変にあたって、さんざん苦労して きたかれの眠から見れば、頼朝と義経の間柄など、児戯の煩いといっていいほどの問題にすぎないが、頼朝にはまだ、一門の族長としての経験が浅い。そしてまた、人いちばい、猫疑ぶかい性格がある。−時政は、そこを、見落していなかった。
「いや何、合戦に打ち勝てば、一国も奪り、負くれば、万戸の富も捨て去るのが慣いでござる。かような物も戦場では、瓦礫の遺物同様に見え申そう。なにも、さして、お心を煩わすほどなことはない。はははは」
かれは、無造作に、そういった。
わざと、頼朝の弱点をついておきながら、またわざと、はぐらかすように、政子へむかっても、おなじ風にいうのであった。 |
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