吉川英治著書
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     新平家物語(13)

■おろかにも平家は勅を信じ休戦

<本文から>
 そして源氏方の動きに眼を移すならば−
 過ぐる二月三日の夜半。義経の奇襲隊は、洛外大江山を立ち、一路、平家の盲点の地を目ざして、すでに丹波路を急いでいたわけである。
 また、おなじ夜。
 主力の蒲冠者範頼は、義経とは逆に、摂津平野へ伸び出で、生田方面へ、進んでいた。
 −明けて、次の日は四日である。
 四日といえば、平軍の大部分は、なおまだ、輪田ノ岬の海上にあった。
 特にその日は、平家一門にとり、忘れがたい、故太政入道どのの命日でもあったから、夜は、一船を香華の座とし、涙ながら、波間の法要をいとなんでいたほどだった。
 ところが、その間にも、東国勢ふた手の尖兵は、一挙に、平軍の肺腑を突くべく、段々(すばやく)、駒を進めていたのである。
 −とは夢にも知らない平家であった。
 あまつさえ。
 平家はその将士を陸にあげて、陣地につくやいな、突如、和平の交渉にまどわされた。
 院の御内意、公卿親信の御使いなど、疑おうにも、疑いようのない事実なのだ。
 しかも、八日までは、源氏方にたいしても、武力に出ることは、一切禁じおかれたという条件付きの御内意でもある。
 で、平家は、勅をかしこみ、法皇の御心を信じて、八日を待った。
 休戦の約を守っていたわけである。
 おろかな、平家。
 あわれなる平家。
 どういった方が、正しいのか。
 ともかく、かれらにとっては、計ることのできない、また取り返しのつかない事態は、こうした空間に、刻々、近づいていたものだった。
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■麻鳥は平家も治療、義経が許可

<本文から>
 「昔から今日まで、いかにして、敵をみな殺しにするかと謀るのが合戦とは聞いているが、まだ、敵兵を助けて、薬餌手当てまでしてやれといったお人は、見たことも聞いた例もない。さような計らいは、お味方の内へもはばかられる儀。おん大将のお指図にも、伺っては、おりませぬわい」
 「いやいや、おまえたちに、彼の咎めはかけぬ。麻鳥が一存にて申すこと」
 「ならば、なおさら、そのようなおいいつけには従えませぬ」
 頑として、かれらは、陣医の命を拒んだ。麻鳥の医師としての心を理解できないのである。
 −自然、麻鳥の存在をふた股者″と見、悪しぎまに、味方のうちへいいふらした。
 麻鳥は、さっそく、一書を認めて、義経の陣所へ、使いを走らせた。書面には、
 −医の本来は、人間の業悩を救い、一一生命の尊きを知らしめるにあり、
 敵味方の差別視は、医師にはありません。
 医は、あくまで、一視同仁です。一
 貴嘱を蒙って、拙医事、ただ今、字奈五ノ岡にあり、あわれなる傷者の治癒に微力を傾けつつありますが、願わくば、敗軍の平兵も、併せて、この仁施に浴させたいものと考えずにいられません。
 右、医としての念願やみ難く、寛仁なるみゆるしを、伏して請い奉ります。
とあり、かれらしい思いが文字にあふれている。
 一読すると、義経は請いをいれ、かれの書面の横に「右ノ願出デ、陣医麻鳥ノ意こ委ス可キ也」と自筆で書き添えて返してやった。
 麻鳥は、それを壁に射り出した?
 そして、一同を呼び集めて、
 「これこの通り、おん大将のお心も、麻鳥が思いと変りはない。一以後は、平家の兵も、病み傷ついた者は、みな救うて来て、・あたたかい心で、手当てをしてやらねばならぬぞ」
と、いいきかせた。
 たれにも、憐れはある。救う力があれば、助けてやって、人のよろこびを見たい人情はもっている。公然なる印可が出たとわかると、それからは、平家方の傷者もつぎつぎに、担ぎ込まれてきた。
 そして、源氏の兵と、おなじ床に枕をならべ、源平無差別な医療や食物を与えられたので、われに返った平家の兵は、
「これはまた、どうしたわけか」
 と、いぶかり合い、そして、麻鳥からそのわけを懇ろに聞かされると、みな涙をながして、かれの手に取りすがった。
 −こうした宇奈五ノ岡の薬院にも、大きな動揺が起こった。源氏の全軍が、都へ凱旋すると聞こえたからである。−病床の枕をもたげて、
「これしきの手傷だ、おれは還る」
「おらも凱旋したい」
「わしも還るぞ」
と、いい始め、平兵を除く以外の大部分の傷兵たちは、むりに傷口を包み、痛みを怺えて、おのおの、ここを立つ身支度をしていた。
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■重衡は平家の罪業の償いを一身にうける気持ち

<本文から>
 「おさしつかえなくば、お胸のうちのもの、ぜひ伺わせていただきたい」
「−こう申せば、いいわけがましゆう聞こえようが、南都焼き打ちの挙も、決して、わが亡父入道清盛殿の御命でもなければ、また、重衡の指揮でもない。
 −当時、事ごとに平家に逆らい、武力さえ持って、六波羅を襲わんとする気配のあったゆえ、先を越して、かれらを懲らしめんとしたまでのこと」
「……⊥
「が、怖るべきは、衆愚の勢い、それが、兵というものぞ。加うるに、その夜は狂風烈しく、あれよと、あきれ騒ぐまに、興福寺、東大寺、あの大昆慮遮那仏までを、すべて、焔にくるんでしもうた‥…⊥
「では、あなたが、焼き払わせたわけではないので」
「いやいや。重衡、それを申すのではない。−平家の罪業は、諸人の責めるところ、平家の罪は、重衡にある。−不肖なれど、重衝こそは、入道清盛殿の五男、一門の罪を身にうけ、万人の誹りと、天下の辱めを蒙るは、身の本望と申すもの……」
「なに。御本望とや」
「おお。白昼の大路に曝されて、人びとの唾を浴びれば、それも、平家の犯せる罪業消滅の一ツにやならんか。−石つぶての一ツだに身にあたれば、うれしや、それによって、一門の罪の一分なりとも消解し得んか。−泥の草鞋を地たるれば、あらありがたし、積年のわが一門への人びとの怨みも、それにて、いささかなりと、晴れもせんか。……そう心にて思うがゆえ、辛いなどとは、ゆめ思わぬ。このうえとも、人びとの憎しみと、あらゆる辱めにあい、平家の罪業の償いを、重衡の身一つにうけてゆきたいと思うのみぞや……」
「はて。きびしいお心よの」
 実平は、そう聞いて、ただただ、沈黙のほかはなかった。東国そだちの武辺には、何か、理解のほかのような気がして、「平家人の心の底には、何か分からぬものがある」と思った。
 そして、このことを、次の日、ノ何かの報告がてら、義経に話すと、義経は頸をふかく垂れて聞き入りながら、「さもあろう。さもなくば…」と、ひとりうなずき顔だった。
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■義経は自身と同様に重衡の助命を望む

<本文から>
 「ともあれ、中将殿が身は、ままになるなら、助けても取らせたいが、義経が一存では、いかんともなし難い。せめては、われらの手にお預かり申している間だけでも、何かと、いたわってあげたいものよの」
「お案じなされますな、実平も、そこは心しておりますれば」
「たのむぞ、土肥どの」
と、わがことのようにいって
「幼時をかえりみれば、われらが生い立ちにも、平家から一つの恩義も受けていなかったとはいいきれぬ。兄の頼朝殿には、年十三の春、平家の手に生捕られ、すでに打ち首ともなるところを、清盛殿の情けにて、伊豆へ流されたがゆえ、今日に会うこともでき。また、この義経とても同様、生かされて、鞍馬の椎子としておかれたため、かく一個の男とはなったる者ぞ。……ああ、奇しきかを、世の輪廻」
 と、あくまで多感なかれは、その多感にまかせて、実平が、兄の重臣であることもつい忘れて、繰り返した。
 「むかしは、幼きわれら兄弟が助けられ、今は、そのおり、われらを助けおかれた清盛殿の五男」重衡の殿が、源氏の檻に生捕り人となってひかれて来たのだ。……今昔の想いにたえぬは、義経だけの痴夢であろうか。心なき者とて、いささかの温情はその人へ酬うであろう。院の御意向、鎌倉殿へのお聞こえなど、もとよりはばからねばならぬが、このうえとも、義経に代って、何かとお庇い申してあげよ」
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