吉川英治著書
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     新平家物語(4)

■牛若の大人の鼻をあかすような才気と敏捷

<本文から>
 鞍馬そだちのかれの野性は、自然、人中の狭い世間や壁の家に、ときどき、たま堪らない息苦しさを覚えるらしい。
 季節は、ものみな萌える春でもあったし、年若の体温には、綿のはいっている夜具など、いやに柔らかで、暖か過ぎて、かえって、火みたいなほてりに寝もだえてしまう。
 発作的に、何か、あばれてみたくなるのだ。山の子であった日の自由と跳躍への郷愁に耐えないで、わざと夜具の外に足を出してみたりする。
 で。−今夜の事件などは、かれのそういう生理を癒やすには、打ってつけな遊戯となった。
 物々しい闇入者を見たとたんに、かれは、
(吉次の悪戯だな。−わしを懲らそうとするな)
と、すぐ判断していた。
 こういう脅しごとには、幼少から馴らされて来たかれである。鞍馬法師たちが、山の椎子たちにするわるさと来ては、なまやさしいものではない。特に牛若はきかん坊であったから、退屈な法師輩は、機会のあるごとに、年若を、試しにかけたり、懲らしたり、おもちゃにし抜いたものだった。そのため、かれの天賦のなかには、自然それに鍛えられて来た後天的な特異性があった。大人の鼻をあかすような才気と敏捷がそれである。
 もし、こうしたかれに母なる人がなかったとしたら、後の源九郎義経はあり得たかどうか、わからない。たとえ、鞍馬を出ても、羅生門に巣食う不良の一人となる環境と素質は多分に持っていた牛若である。
 母の髪の毛は子をつなぐという。−−母を夢にみる子はいつも心の岐路では母に手をひかれている。−牛若が、そうであったのだ。
 しかし、その一面の不良魂と、大人もしのぐ不敵さは、今夜のばあいのように、突然な行動には、偽りなく出るものだった。
 にせ群盗のウラをかいて、かれが、離れの水屋戸を脱け出し、母屋の大屋根へ上がってしまった迅さなどは−吉次を始め、下では、笑止なほど、狼狽えた様子だったが − 牛若としては、大人の悪戯にたいし、子どもの悪戯をもって、シッペ返しをしたとしか思っていない。そして、その愉快さに、笛など吹いていたまでのことである。
 だが。
 こういう少年の行為は、大人の理解にかかると、何か、もっと意味ありそうなことになる。小面憎いし、不気味でもあった。ことに、完全に鼻をあかされた吉次は、
 「ちいっ。……チビ天狗め」
 どうにも不愉快そうである。手伝わせた家人どもへも、不面目でならなかった。さっきから仰向いたまま大屋根を見ている首の向け変えようもない姿だった。
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■平泉の前に東国で縁故の家々をたどった

<本文から>
  また、九郎が、東国をここに五日、かしこに十日と漂泊の間に、探栖の屋敷の近所に、一夜、群盗が押しかけ、家人たちも持て余した。それを九郎が、太一刀ばかりで打ち向かい、四人を斬殺し、二人を傷つけて、逃げ走らせたなどという話もみえるが、牛若武勇伝というものは、たいがい、こんな類型の剣術使いになっている。剣法などは、まだ発生していなかったし、戦場の打ち合いすら、保元、平治の合戦が、武者としても珍しいほどな体験だった。まして牛若を剣法の名人みたいにいうのはか伝である。
 とまれ、九郎と陵助が、ある年月、関東を漂泊していたことだけは、たしかであろう。そして、その転々としていた噂が、いわゆる武蔵七党以来の、そして、義家、為義、義朝などの源氏の勢威が、この地方に旺であった時代の縁故の家々をたどっていたのであろうことも、まず余り間違いのない想像であろう
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■当時、平泉は分水嶺の上にある時代

<本文から>
  依然、中央へ貢ぎしては、さきの押領優秀衡が、やっと鎮守府将軍の職名にあげられただけである。そして、これほどな三代の業績も、口悪な都の公卿にかかっては、つねによく評されていなかった。「−平泉。あれは、模倣の文化よ。孔雀の羽をつけた鳥の都よ」と。
 基衡までは、その軽侮にも、忍んで来た。が、三代秀衡は、ようやく、自負と不満を天下にいだき始めている。これ以上な、権力や名誉が、欲しい年代にもかかっていた。ひとつには、保元平治の乱が、かれの眼を、中原へ誘ったものともいえよう。乱は治まり、世は平家全盛と人はいっても、なお、平治以来の底波はつづいているものと、かれは観ていた。
 かれの家臣、金沢吉次が、金売りの名で、都へ出、そのたび中央の政治、経済、民情から、院と平家との確執など、つぶさに諜報して来たので、秀衡は、居ながらに、微妙な世のうごきを観るある程度の眼と知識を持っていたわけである。
 −とまれ、平泉の現在は、三代目の最盛期だった。桜山の花時に似て、花らんまんの伽羅御所だった。
 この文化が、花から結実へ、推移してゆくか。
 熟れたる物の運命を必然にし、腐え散る晩春へ暮れてゆくか。
 秀衡という人間を中心に、平泉は、そういう分水嶺の上にもあった。−時も時、数奇な亡家の子、九郎冠者も、ここへその運命を託して来たのである。
 −運命の文化の枝に宿を借りた運命の子は、今夜も、虫すだく灯の下に、ひとり書をひもといていた。
「……源九郎様。源九郎様」
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