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<本文から> −天地の生んだ一個のもの。あなたはそれでいいではないか。白河の御子であろうが、なかろうが、一個の人間としてお立派であったらいい」−と。
いつ、どこで思い出しても、これはその通りだ。じじは、いいやつだった。
「海の見える地に、生涯の館を建て、八重の潮に、理想の業を、顕現してみせん」
というかれの日ごろの夢は−この時の船中で、いよいよ形をもち、誓いが固められていたにちがいない。
やがて、厳島の影を、波上に近く望んだ日。
「ああ、厳島」
と、清盛は恍惚と、ひとみを凝らした。なぜともなく頻に涙がつたわった。
−前世からの恋人がここに自分の来るのを待っていたとも、いいたげな面持ちであった。
平家の氏神。海の氏神。島そのものが、神の姿といっていい。
「きょうは、結縁の日だ。おれの考えを、この世に具現させる宿縁は、すでに、父祖の代からあったのだ。きょうはようやくその結線が熟して、自然に、これへわが身が運ばれて来たのだろう」
かれは、故知らぬ涙を、そう理由づけた。
厳島の砂を踏まないうちに、かれは、厳島を恋した。 |
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