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<本文から> まことに、保元の乱を書くことは苦しい。その時代から八世紀もへだてた今日においても、そくそくと、胸が傷んでくるのである。筆者は、その精彩も描きえないで、かえって、今日の嘆息に落ち入ってしまう。
戦そのものは、幼稚であった。戦争を遊戯しているか、芸術しているようですらある。しかし、戦争のかたちや量ではなく、戦争のもつ人間苦の内容は、今も昔もかわりはない。いや、昔のそれを、もっと拡大し、深刻化し、そして科学的進歩のうえに、今日の戦争形態としたものが、人間進化の全面ではないが、一面であることは否みえない。
−と、すれば、かつての古き人間の戦争は、まだ、その稚気、愛すべしとはいえないまでも、人間的とはいえるかもしれない。武器、服飾にも、芸術の粋をこらし、陣前では、廉恥を重んじ、とまれ、精神的な何かを持とうとは心がけた。動物にはなるまいとしていた。
しかし、それにしてすら、保元の乱が、敵と味方との両陣営に、無数の人びとをまっ二つに分けて戦わせたあとを見ると−いかにその戦いが、人間の本性にそむいた、むごい、傷ましい、血みどろな一戦であったかがしのばれる。
いや思いやられて、描くにも忍びなくなるのである。
次の、主なる人びとが、たがいに、攻めあい、苛みあい、殺しあう、敵味方に別れていたことを見ても、読者もともに、眼をおおうて、われらの過去にもった歴史の一駒に、嵯嘆せずにいられまいと思う。 |
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