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<本文から>
となされ、近ごろでは、これまでの尊氏懐柔策はすてて、しばしば、官将軍との御密談も内裏で行われているなどの事実も、俄に、官一味をここで気負わせ、
「討つなら今だ。尊氏が片腕とたのむ弟直義も、去年引き裂いて、鎌倉へ追いやってあれば、六汲羅にいま在る勢は、主従あわせても知れた数」
と、いうつけ目を狙った夜討ち計画となったらしい。
しかし、これは甘かった。
尊氏は知っている。堂上における尊氏なし≠ネどという排他的空気にも、彼は鈍のようでいて鈍感ではない。とくに六月六日の宵からは、すでに非常をさとって、六波羅一帯は急武装にかかっていた。−宇治舟がとだえたのは、その方面から、楠木正成が畿内の兵を動員しているものと見て、大和ロヘ一手をそなえ、また二条方面から五条へかけては、明け方までに、数千騎を配置して、
「いつでも」
と、官の出方を待ちすましていたのであった。
どうして、そんな迅く、しかも六波羅勢だけとも思えぬ兵力を尊氏が配備したのか。
これには大塔ノ官以下、一驚を喫して、夜討ちの出鼻をくじかれた。大誤算を生じたらしい。しょせん、正攻では敵わぬことはわかりすぎている。ついにむなしく夜は明けてしまい、夜討ちの秘密計画は不発に終ってしまったのである。白々と事なく明けた町を見て、ほっとしたのは洛内万戸の市民であった。
あとでは尊氏も、りつ然としたことだったろう。「−官将軍の悪ラツさよ。もしこなたが事前に官の秘計をさとらずにいたらどうなったろう?」と。
尊氏が本心、官にたいする警戒以上な敵慢心をむらと抱いたのはこのときだった。自分にたいする大塔ノ官があくまで抱擁の寛度もない冷ややかな他人≠ナあることは夙に承知だが、それは世間知らずのお人が陥りやすい周囲からの誤解と観て、決してこころよくはないが、何事も受け身に受けていたのである。
が、いまはちがう。
官こそは自分にとっての「当の強敵」。また宮をめぐる殿ノ法印、千種忠顕、新田義貞、名和長年、楠木正成ら−のすべては一群の一敵国と、心のもちかたを、ここであらためずにはいられなかった。
そして、それらの官一味のうちに、佐々木道誉の名も彼はかぞえてみたかもしれない。なんとなれば、その道誉は、めったに六波羅へ顔をみせず、また尊氏も彼を訪わず、つまり、いらい疎遠となっている。
しかも道誉と千種忠顕とは、ここ急速にその交友ぶりを密にしており、また殿ノ法印や義貞とも親しんで、たれの目にも官将軍幕下のひとりと今は見なされているからだった。 |
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