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<本文から>
俊基はあらたまって、その目的を、うちあけた。
先日の南都行幸も、次いで予定されている叡山行幸も、すべては、朝廷お旗上げの御準備にはかならない。
まず僧団勢力を、味方にひきいれておくことは、対関東の作戦上には、欠くことのできない策である。−で、天皇行幸とあわせて、紀州の高野山、播磨の大山寺、伯耆の大社、越前の平泉寺−この地方四大社寺へたいしても、一朝のさいには、王事に協力あるべしと、懇諭の密勅がくだされることになったという。
「その密使として、これから高野をはじめ、諸山へ経巡る道すがらじゃ。太夫、まだ話したいことは、一夜に尽くせぬほど、山々あるぞ」
天皇御謀反
ということばは、初めは雲の上の光文のごとく、また、ごく一部の幕府主脳の秘語としてしか呵かれていなかったが、正中ノ変このかた、表沙汰となり、今日では、たれの口もつかわれている。
だが、天皇御むほん?
どうもおかしいではないか。こんな語は、ことばの意味をなしていないと、いう者もあるにはあった。
武家もなく、幕府もなく、また院政だの、公卿の専横もなかった以前の世は、政治は天子が統べ給うものときまっていた。 |
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