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<本文から>
「そうそう、祖先の忌日ごとには、かならずあの菩提寺の庭を見た。−足利家代々の苔さびたおくつきに額ずいた後で」
「特に、若殿御元服の日、その報告を御先祖にささげられた後で、重臣どもの意見の相違から、ついに置文″の披見なく、御帰館となったことは、なお御記憶でござりましょうが」
「はて、置文とは」
「足利家七代の君、若殿には御祖父にあたる家時公の御遺書のことでござりまする」
肺腑を突くとは、こんな言を擬して、一瞬、はっと息を呑ませる鋭さをいうのだろとう。又太郎は、いや、かたわらの経家さえも、粛と、顔いろを研いで、固くなった。
−およそ足利家の者にとっては、先々代の主君家時の話というのは禁句だった。なぜならば、絶対に公表できない原因で、しかもまだ三十代に、あえなく自殺した君だからである。
ところが。−その家時の血書の置文″(遺書)というものが、菩提寺鎖阿寺のふかくに、家時の霊牌とひとつに封ぜられているということを、重なる家臣は知っている。
−で、又太郎高氏が元服報告の日にも。「−もはや御元服なされた上は、お見せすべきだ」という臣と。「−いやまだ時節でない。もっと若殿が御成人の後ならでは」という臣と、両者二説にわかれたため、その折にも、それはついに開かれずにしまったほど、足利家にとっては、なにしても重大な意味をもつ秘封でもあるらしかった。
「……そうだ、わしとしたことが、うかと、あの日のことは忘れておった」 |
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