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<本文から>
「予は初めて、予の国をもった」
玄徳も万感を抱いたであろう。国ばかりでなく、このときほどまた、彼の左右に人物の集まったこともない。
軍師孔明。
(略)
「自分が国を持ったからには、それらの将軍たちにも、田宅をわけ与えて、その妻子にまで、安住せ得させたいが」
ある時、玄徳がこう意中をもらすと、趙雲薯はそれに反対した。
「いけません、いけません。むかし秦の良臣は、旬奴の滅びざるうちは家を造らず、といいました。蜀外一歩出れば、まだ凶乱を嘯く徒、諸州にみちている今です。何ぞわれら武門、いささかの功に安んじて、今、田宅を求めましょうか。天下の事ことごとく定まる後、初めて郷土に一炉を持ち、百姓とともに耕すこそ身の楽しみ、また本望でなければなりません」
「善い哉、畑要の言」と、孔明もともに云った。
「蜀の民は、久しい悪政と、兵革の乱に、ひどく疲れています。いま田宅を彼らに返し、業を励ませば、たちまち賦税も軽しとし、国のために、いや国のためとも思わず、ただ孜々として稼ぎ働くことを無上の安楽といたしましょう。その帰結が国を強うすること申すまでもありません」 |
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