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<本文から> 関羽は、ふと、眼をしばだたいた。二大人の境遇に考え及ぶと、すぐ断腸の思いがわくらしいのである。
「ご芳志のもの、二夫人へと仰せあるなら、ありがたく収めて、お取次ぎいたそう。−長々お世話にあずかった上、些少の功労をのこして、いま流別の日に会う。…他日、萍水ふたたび巡りあう日くれば、べつにかならず、余恩をお報い申すでごギちう」
彼のことばに、曹操も満足を面にあらわして、
「いや、いや、君のような純忠の士を、幾月か都へ留めておいただけでも、都の士風はたしかに良化された。また曹操も、どれほど君から学ぶところが多かったか知れぬ。−ただ君と予との因縁薄うして、いま人生の中道に袂をわかつ。−これは淋しいことにちがいないが、考え方によっては、人生のおもしろさもまたこの不如意のうちにある」
と、まず張遼の手から路銀を贈らせ、なお後の一将を顧みて、持たせてきた一領の綿の袍衣を取寄せ、それを関羽に餞別せん−とこういった。
「秋も深いし、これからの山道や渡河の旅も、いとど寒く相成ろう。・・・これは曹操がが、君の芳魂をつつんでもらいたいため、わぎわざ携えてきた粗衣に過ぎんが、どうか旅衣として、雨露のしのぎに着てもらいたい。これくらいのことは君がうけても誰も君の節操を疑いもいたすまい」
綿の袍を持った大将は、直ちに馬を下りて、つかつかと覇陵橋の中はどへすすみ、関羽の駒のまえにひぎまずいて、うやうやしく綿袍を捧げた。
「かたじけない」
関羽はそこから目礼を送ったが、その眼ざしには、もし何かの謀略でもありはしまいかとなお充分警戒しているふうが見えた。
「−せっかくのご餞別、さらば賜袍の恩をこうむるでごさろう」
そういうと、関羽は、小脇にしていた偃月の青龍刀をさしのべてその薙刀形の刃さきに、綿のホウを引っかけ、心らりと肩に打ちかけると、
「おさらば」と、ただ一声のこして、たちまち北の方へ駿足赤兎馬を早めて立ち去ってしまった。
「見よ。あの武者ぶりの良さを−」
と、曹操は、ほれぼれと見送っていたが、つき従う李典」干禁、許楮などは、口を極めて、怒りながら、
「なんたる傲慢」
「恩賜の袍を刀のさきで受けとるとは」
「丞相のご恩につけあがって、すきな真似をしちらしておる」
「今だっ。−あれあれ、まだ彼方に姿は見える。追いかけて!・・・」
と、あわや駒首をそろえて、馳けだそうとした。
曹操は、一同をなだめて、
「むりもない事だ。関羽の身になってみれば、−いかに武装はしていなくとも、こちらはわが麾下の錚々たる者のみ二十人もいるのに、彼は単駒、ただひとりではないか。あれくらいな要心はゆるしてやるべきである」
そしてすぐ許都へ帰って行ったが、その途々も左右の諸大将にむかって、
「敵たると味方たるとをとわず、武人の薫しい心根に接するほど、予は、楽しいことはない。その一瞬は、天地も人間も、すべてこの世が美しいものに満ちているような心地がするのだ。−そういう一箇の人格が他を薫化することは、後世千年、二千年にも及ぶであろう。其方たちも、この世でよき人物に会ったことを徳として、彼の心根に見ならい、おのおの末代にいたるまで芳き名をのこせよ」と、訓械したということである。
このことばから深くうかがうと、曹操はよく武将の本分を知っていたし、また自己の性格のうちにある善性と悪性をもわきまえていたということができる。そして努めて、善将にならんと心がけていたこともたしかだと云いえよう。 |
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