吉川英治著書
ここに付箋ここに付箋・・・
     三国志 1

■三国志は民俗小説であり人類の大演劇

<本文から>
  見方によれば三国志は、一つの民俗小説ともいえる。三同志の叶に見られる人間の愛欲、道徳、宗教、その生活、また、主題たる戦争行為だとか群雄割拠の状などは、さながら彩られた彼の民俗絵巻でもあり、その生々動流する相は、天地間を舞台として、壮大なる音楽に伴って演技された人類の大演劇とも観られるのである。
 現在の地名と、原本の誌す地名とは、当然時代による異いがあるので、分っている地方は下に注を加えておいた。分らない旧名もかなりある。また、登場人物の爵位官職など、はぼ文字で推察のつきそうなのはそのまま用いた。あまりに現代語化しすぎると、その文字の持っている特有な色彩や感覚を失ってしまうからである。
 原本には「通俗三国志」「三国志演義」その他数種あるが、私はそのいずれの直訳にもよらないで、随時、長所を択って、わたくし流に書いた。これを音さながら思い出されるのは、少年の頃、久保天随氏の演義三国志を熱流して、三更四更まで煩下にしがみついていては、父に寝ろ寝ろといって叱られたことである。

■桃園の誓い

<本文から>
 年齢からいえば、関羽がいちばん年上であり、次が劉備、その次が張飛という順になるのであるが、義約のうえの義兄弟だから年順をふむ必要はないとあって、「長兄には、どうか、あなたがなって下さい。それでないと、張飛の我ままにも、おさえが利きませんから」と、関羽がいった。
 張飛も、ともども、
「それは是非、そうありたい。いやだといっても、二人して、長兄長兄と崇めてしまうからいい」
劉備は強いて拒まなかった そこで三名は、鼎座して将来の理想をのべ、刎頸の誓いをかため、やがて壇をさがって桃下の卓を囲んだ。
「では、永く」
「変るまいぞ」
「変らじ」
 と、兄弟の杯を交わし、そして、三人一体、協力して国家に報じ、下万民の塗炭の苦を救うをもって、大丈夫の生渡とせんと申し合った。
 張飛は、すこし酔うてきたとみえて、声を大にし、杯を高く挙げて、
「ああ、こんな吉日はない。実に愉快だ。再び天にいう。われらここにあるの三名。同年同月同日に生まるるを希わず、願わくば同年同月同日に死なん」
 と、嘲鳴った。そして、
「飲もう。大いに、きょうは飲もう−ではありませんか」
 などと、劉備の杯へも、やたらに酒をついだ。そうかと思うと、自分の頭を、ひとりで叩きながら、「愉快だ。実に愉快だLと、子供みたいにさけんだ。

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