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<本文から>
見方によれば三国志は、一つの民俗小説ともいえる。三同志の叶に見られる人間の愛欲、道徳、宗教、その生活、また、主題たる戦争行為だとか群雄割拠の状などは、さながら彩られた彼の民俗絵巻でもあり、その生々動流する相は、天地間を舞台として、壮大なる音楽に伴って演技された人類の大演劇とも観られるのである。
現在の地名と、原本の誌す地名とは、当然時代による異いがあるので、分っている地方は下に注を加えておいた。分らない旧名もかなりある。また、登場人物の爵位官職など、はぼ文字で推察のつきそうなのはそのまま用いた。あまりに現代語化しすぎると、その文字の持っている特有な色彩や感覚を失ってしまうからである。
原本には「通俗三国志」「三国志演義」その他数種あるが、私はそのいずれの直訳にもよらないで、随時、長所を択って、わたくし流に書いた。これを音さながら思い出されるのは、少年の頃、久保天随氏の演義三国志を熱流して、三更四更まで煩下にしがみついていては、父に寝ろ寝ろといって叱られたことである。 |
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