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<本文から>
(捨てておけない)
と、かれは、市井の悪党以上、この災魔をなくすことの方を、急務と、信じたのであった。
そこで彼は、火災を起した火元の罰則を立て、大火となったときは、さらに、町名主以下、家主、地主たちにまで、連帯の責任を問う法令をもうけた。
が、むしろ、火の出ないうちの、予防策に、かれは重点をおいた。
市中にたくさんな、火防地を設けた。
家屋の構造に、それまで制約されていた条件(たとえば、大名武家以外は、瓦葺きの屋根はできなかったなどの )を撤廃し、自由に、防火本位の家を、たれでも建てられるように、市政を改めた。
また、消防組を、新たに、組織させた。
全市の、各町ごとに、常備の駈付け火消しを、三十人ずつおいて、ジャンと鳴れば、競って、鳶口、まといを振り出して、消火に協力する。いや、これを競わせて、功ある組を、表彰した。
江戸″いろは″四十八組の創案は このときからといわれている。
だが、土木だの、交通だの、風紀だの、火事だのという地味な行政は、なかなか、市民の注目をひかない。 |
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