吉川英治著書
ここに付箋ここに付箋・・・
     鳴門秘帖(3)

■取潰しの証拠の世阿弥血筆

<本文から>
  「よし、孫兵衛のことは、そちの自由にするがよい」
 キッパリといった上に弦之丞は、二つに破った秘帖の一半を、保儒の手へさずけた。
 「これは?」
 「これは龍耳老人へおくる弦之丞の寸志じゃ。帰国の上は、何もいわずに、孫兵衛の首級にそえて、お渡しいたしてくれい」
 ああ、さてはと、いちどは驚目をみはった万青も鴻山も、弦之丞の言外にある心を汲んで、ひそかに思った。
 お綱と弦之丞とは、さきに、剣山でとうていのがれ得ぬはずの危地を、龍耳老人のために救われている。それは、老人の思想と主家の将来を思うところによるとはいえ、救われた者には、大なる恩義であらねばならぬ。
 理由もいわずに弦之丞が、せっかく手に入れた秘帖の一端を裂いて老人へ贈ったのは、それに酬う武道の情義であった。いいかえれば、恩讐を超えた心と心の答礼だった。
 「ありがとうぞんじます」
 侏儒はそれをふところに納め、孫兵衛の首級を抽にくるんで、
 「では、皆様」と、もう一度辞儀をして、阿波川島の郷里へ帰るべく、急ぎ足に麓の近道を拾っていった。
 後に思い合わせれば−。
 徳島城の城地没収、二十五万石取潰しの審議が老中議判となった時、唯一の証拠である、世阿弥血筆の秘帖の一部が裂きとられてあったため、そこの数力条の肝腎な個所が不明となり、蜂頒賀家の申しひらきが幾分か立って、あやうく断絶の憂き目をまぬがれ、重喜の永蟄居だけで、一大名の瓦解を見ずに落着したのは、まったくその時、侏儒のふところに持ち帰された一紙片の力といえるもので、思えば弦之丞が籠耳老人へ酬いたものは、大きな贈り物であった。
 しかし、それは後日になって、当面の人たちだけが思い当たって感謝したことだ。……今、保儒の姿が麓へ小さく隠れてゆくのを見送っている弦之丞には、頬の微笑と、快い感情の汲が人知れず胸にうった。
 かれは手に残った秘帖の一部を鴻山に渡して、これは自分の使命のしるし、所司代松平左京之介穀の手をへて、幕府へ委細の復命をたのみたいといった。
 「いや」
 と鴻山は固く辞退した。
▲UP

■弦之丞を勇躍されたものは恋、義理、涙

<本文から>
  弦之丞はまたこういった。
「自分は純然たる幕府方の人間のようであって、まことは幕府に忠実な者ではござらぬ。それは今、秘帖の一半を裂いて阿波へ返してやった不審な行為でもお分りになろう」
 と、あくまで、鴻山の切なすすめを拒んで、
「−底意を申せば、弦之丞めも、当今、皇学尊重のふうを非義とは存じられませぬ、むしろ、ひそかに王室の御衰微をなげいている一人なのでござります」
 と、矛盾な気持を初めて明かした。
 江戸に籍をおく身であって、一面、反幕府派と称せらるる皇学中心の運動をも、どうしても否定しきれないところに、かれの憂鬱が常にあった。
 その矛盾を乗りこえて、かれをここまで勇躍させてきた力は、幕府のためというよりも、剣山で寵耳老人に告白したとおり、恋、義理、涙、そういうきずなにはきわめて弱いかれの個性 − 凡人凡智の情熱である。
 今またその告白をくり返して
 「なんでこのふた心と矛盾を抱いて、これ以上、幕府の栄禄を食み得ましょうか!」
というのだった。
 「多少、江戸表にも、心のひかれることがない身ではござらぬが、果てしのない凡情の延長へ辿ってゆくより、むしろこのまま帰府を断念して、元の虚無僧、一管の竹笛に余生を任して旅に終るほうが、自由で本望に思われます。拙者のためにと仰せ下さるならば、もうこの上のおすすめ、ひらに御無用に願いたい」
 もう鴻山にも万吉にも、出世の無理強いをすすめるようなありあわせな厚意は、かれの真実と潔癖の前にいいだされなくなった。
 で−黙然とうなだれてしまったが、その沈黙がくるとすぐに、わっと、こらえを破って泣く声をきいた。
 はっと、皆の目は、泣き伏したお千絵の姿に吸いつけられる。
 お千絵は最前から弦之丞の心もちをきいているうちに、あたりが真っ暗におぼえる程な失望に血を激しながら、今ここで、自分の心をいいだす勇気もなく、目の前を通りすぎて行こうとする運命に対しても、悲しむよりほかの力をもたないかの女であった。
 「ああ……」
 しかし、その痛々しい姿は、弦之丞の心をみだし、また責める。
 ひとつの矛盾をしりぞければ、また新しくひとつの矛盾がなだれてくる。
 神のごとき純なお千絵に、生涯の傷手を与えて去ることは、かの女を幸福にすべく起った初志をみずから裏切っていないだろうか。
 また、ちょうど同じこの禅定寺峠で、去年の夏 − お千絵様を! と合掌して落命した唐草銀五郎に対しても、破誓の罪がないだろうか。
 理性はそれを問う、良心は弦之丞にそれを責める。
▲UP

メニューへ


トップページへ