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<本文から>
「よし、孫兵衛のことは、そちの自由にするがよい」
キッパリといった上に弦之丞は、二つに破った秘帖の一半を、保儒の手へさずけた。
「これは?」
「これは龍耳老人へおくる弦之丞の寸志じゃ。帰国の上は、何もいわずに、孫兵衛の首級にそえて、お渡しいたしてくれい」
ああ、さてはと、いちどは驚目をみはった万青も鴻山も、弦之丞の言外にある心を汲んで、ひそかに思った。
お綱と弦之丞とは、さきに、剣山でとうていのがれ得ぬはずの危地を、龍耳老人のために救われている。それは、老人の思想と主家の将来を思うところによるとはいえ、救われた者には、大なる恩義であらねばならぬ。
理由もいわずに弦之丞が、せっかく手に入れた秘帖の一端を裂いて老人へ贈ったのは、それに酬う武道の情義であった。いいかえれば、恩讐を超えた心と心の答礼だった。
「ありがとうぞんじます」
侏儒はそれをふところに納め、孫兵衛の首級を抽にくるんで、
「では、皆様」と、もう一度辞儀をして、阿波川島の郷里へ帰るべく、急ぎ足に麓の近道を拾っていった。
後に思い合わせれば−。
徳島城の城地没収、二十五万石取潰しの審議が老中議判となった時、唯一の証拠である、世阿弥血筆の秘帖の一部が裂きとられてあったため、そこの数力条の肝腎な個所が不明となり、蜂頒賀家の申しひらきが幾分か立って、あやうく断絶の憂き目をまぬがれ、重喜の永蟄居だけで、一大名の瓦解を見ずに落着したのは、まったくその時、侏儒のふところに持ち帰された一紙片の力といえるもので、思えば弦之丞が籠耳老人へ酬いたものは、大きな贈り物であった。
しかし、それは後日になって、当面の人たちだけが思い当たって感謝したことだ。……今、保儒の姿が麓へ小さく隠れてゆくのを見送っている弦之丞には、頬の微笑と、快い感情の汲が人知れず胸にうった。
かれは手に残った秘帖の一部を鴻山に渡して、これは自分の使命のしるし、所司代松平左京之介穀の手をへて、幕府へ委細の復命をたのみたいといった。
「いや」
と鴻山は固く辞退した。 |
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