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<本文から>
二人の失脚は、宝歴変の折だった。−明和二年の今から数えて八年前、京都で起こったあの騒動−竹内式部の密謀が敗れ、公卿十七家の閉門を見、式部は遠流。門人ことごとく罪科になって解決した−あの事件の時、天満組の常木鴻山も俵同心もすばらしい活躍をした。
が、その後が悪かった。余り二人の手腕が切れ過ぎて禍いとなった。
「これは根が深いぞ−」と、初め鴻山は考えたたのである。
「倒幕の大事などが、長袖の神学者や、公卿ばかりで謀れるものではない。黒幕がある!傀儡師がある!たしかにある!」と固く信じた。
「あるとすれば−どこの大名であろう? 無論西国、一体西国大名は、機さえあれば風雲に動きやすい。島津か、毛利か。いやことによるともっと意外な…」鴻山の苦心へ、俵同心や万吉も、骨身を惜しまずいろいろな機密を探って耳に入れた。
阿波二十五万右の蜂須賀重喜、まだ若くはあるが英邁な気質、うちに勤王の思想を包み、家士の研学隆武にも怠りがない、−前には式部を密かに招いて説を聞き、領土の浜では軍船を仕立てて陣練の稽古をしたともいう噂である。
「ウーム、黒幕は海の向うだ」鴻山は意を得たりとした。「阿波は由来謎の国だ。金があって武力が精鋭、そして、秘密を包むに都合のいい国、一朝淡路を足がかりとして大阪を断り、京へ根を張る時は、西国大名と呼応して屈強な立場 捨ておいては一大事である」
すぐ意見を書いて城代酒井侯へ差しだした。
ところが、御城番、町奉行、所司代誰あって耳を藷す者なく、彼の上書は嘲笑の種となって突ッ返された。わまり、どれもこれも事勿れ主義。
「そんな馬鹿げた後ろ楯にはなりますまい。阿波は松平の御姓を賜わり、代々、将軍のお名の一字をいただくほどの家筋じゃ」
「だからいけない!」鴻山はいよいよ説を持した。「それほど、阿波の力が大きいのだ、将軍家でも怖れているのだ」と、周囲に構わず、俵同心に探りの手を入れさせた。が、その活動に移らぬうちに、二人は譴責! 出仕に及ばず−という形式をとられた。
「二人とも天狗が過ぎた」「名声に酔って、いわゆる妄想狂になったのだろう」などと喧しい周囲の侮声に耳を掩って、鴻山と一八郎はなおその信念はまげず、それから七年、ただ阿波の内情を探ることにのみ腐心してきた。 |
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