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<本文から> そうして、向う山と此っ方山との対陣は、朝から午の刻までつづいた。
戦わぬうちから、勝算歴々なものとして、平家の陣が、いやに落着きこんでいた理由は午の刻を過ぎると、ようやく分った。
かねて頼朝とは宿怨のある伊豆の伊東祐親入道の到着を待っていたものらしく、伊東二郎祐親の軍勢およそ三吉は、ここへさして来ると、わざと、平家の陣地たる星山へは登って来ずに、頼朝、時政たちの源氏の踏まえている陣地からもう一つ先の山へ登ってしまった。
そして源氏の陣所の山と自分等の占めた高地とで、ちょうど、挟み撃ちにする形態をとった。
「伊東の入道が着いた」
「備えは成った」
「いで、一揉みに」
と星山の頂きから、やや戦気がうごき出した頃、はるか丸子河の下流のもう海辺に近い辺りの森から、むくむくと黒煙の揚がるのが眺められた。
「やっ。あの火の手は?」
「大庭どのの舘の辺りではないか」
「そうだ。大庭どののやしきが焼けている」
立ち騒いでいるところへ、物見の者の駈け上がって来て云うには、三浦一族の者から大祖父と仰がれている三浦大介義明が、八十余歳という高齢の身をひっさげ、先には、子の義澄を頼朝方へ出陣させてあるが、それでもなお、不安として、留守居の身寄りや召使の端まで狩りあつめ、手勢百七、八十の兵を作って、遽に、海ぞい道を駈けつけて丸子河原に陣し、手はじめに大庭景親どのの館を焼き立て、その勢いなかなか侮り難く見えまする−とのことであった。
「え。あの老人が?」
と、平家方の将は、顔を見合せた事だった。その煙よりも、八十余齢という白髪の老武者が、それ程まで、頼朝の挙兵に、熱意をもっている点が疑われたのである。
どうして、そのような老齢な一族の長や、時政のような分別者が、「若いものの火悪戯」に過ぎないと思われるこんな暴挙に、さまで熱情をもつばかりか、一族の運命を賭してまで組するのか?
今。義明の襲来と聞いてもまだ分らないところに、平家方の軍勢三千余騎の美々しさと、愚かな威容とがあった。
もっとも中には、
(さもあろう)
と、密かに、むしろ会心の事とまでして、肯定していた人もある。
渋谷庄司や、熊谷直実などは、身を平家方に置いてはいるが、火悪戯と人の視る若い者の精神が、決して暴でなく不遣でもなく、必然、このままではいない時勢の先に立って、よく天の啓示をつかんでいる男児たちであることを知っていた。
知っていながら、その時代精神をもった信念の敵へ、弓をひかねばならないのも、複雑な世間の性質やら侍で立つ者のむずかしさだった。
飯田五郎という郎党がある。大庭景親の家来だった。その男なども、
(飛んでゆきたい)
と思うほど、実は、頼朝に日頃から志を寄せ、今も、向う山の源氏の陣地を見ていたが、主人景親という者を持っている身で、どうにもならなかった。
なお、三千の平家軍のうちには、そうした者は幾人かあったろう。−なぜならば、平家は平家の既成勢力しか誇るものはなかったが、頼朝のほうは、誰も頼朝や、一時政の力を悼みとはしていない。
天の味方を力としていた。
天とは、もちろん、時勢のことをいう。大きな時の転回を見とおして、その方向を誤たず、正しく地に立ち上がった姿勢の上に輝く天のことである。 |
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