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<本文から> 彼女が、背なかをたたいたはずみに、喉につかえていたかりん糖が、一平の口からとび出した。
「ホ、ホ、ホ。まるで駄々ッ子だよ。おまえさんと来たひには」
そういう彼女もまたほんとの姉でもあるように扱って、朱い丸盆の上に、甘味のものをふた種みいろ交ぜて枕元へ持って来た。
「はい、たんとおあがり」
ごろりと、その側に足を投げて、頬杖をつきながら、一平が、色気もなくそれを食べるのを、楽しそうにながめていた。
そして、こういう若い男を、自分のそばにおくようになった、ふしぎな機縁を考えはじめた。
−あの伏見で大入りをつづけた時の−今思い出しても、おかしいやら冷や汗の出るような、とんでもない舞台の悲喜劇からである。
ほんものの瓢六斎は、あとから、小屋の隅の空き箱からまる裸になって発見されて、その後、 腹を立って一座を出てしまった。そして、打ち所がわるいから助かるまいと、一時は医者に見はなされたこの男が、もう三月越しも寝ているけれど、かえって、あれ以来、自分のそばをはなれないで先を知らぬ旅鳥の一座についてあるく始末になった。
「縁だねエ…」
しみじみと、そう思う。
ほんとならば、医者どころか、綱から落ちて気絶した時に、すぐ地り出してもいい値打があるのに、なんとなく離しきれないで、新撰組の山崎の方まで苦心して出しぬいたあげく、次の興行、次の旅先へ、ご苦労さまにも、こうして持ってあるいて来た厄介者の可愛い人である。
もう八月である。この夏場は雨がちでろくな小屋も打たないまに、いつか秋が来てしまった。
−わるい汐に乗ったのか、河内から和歌山、そしてこの大和路へはいりこんでから、不入りつつきで、三月まえの面影はない。
ここの大和五条の町へは、小屋持と七日の約束で下市から売って来たのであるが、来てみると、世間が騒がしいから、すこし様子を見てくれと、煮えきらない生返辞で、壷は小屋に籠城をする、自分は小屋持の親類だというこの家の二階へ泊って、かたがた持ち歩きの半病人を、叱ったり、騙したり、肩の膏薬を張りかえてやったり、稀には、かりん糖を買って来たりの四、五日であった。
でも、よくこんな気の永いことが、自分にできたものだと思う。白浜のお千代が男について、そんな例はきょうまでにない。用心棒の左次馬が、妙に気をまわして、険しい眼でみるのも無理ではなかった。
「なぜだろう。なぜ離したくないのだろう?」
その気もちは、お千代自身にも解けなかった。必死な恋とは思われない。情火情熱を焦しあう仲ほどにもすすんでいない。−といって、やはり、憎くない人、離したくない人である。
ただ彼女にも、わかることは、こうして一平のそばにいて、足をのばして、頬づえをついて、気まかせに向い合っていると、なんとなく心が和らぐ。陽気な気がする。魅力といえば、そういう点かも知れない。何しろ、邪気のないのが嬉しかった。あたまから塩をつけて、食べてしまいたい。でなければ、時々、頼に明滅する笑くぼを、噛んでとってしまいたい。
そんな衝動が起る−起させる一平だった。
「自分だけかも知れないけれど……」
そう思い直してみたりして、お千代は、彼の顔をながめていた。−今の場合だってそうである。彼女が、彼女らしくもなく、そんな思いごとに耽っていれば、一平の方は、余念もなく、かりん糖を食べている。 |
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