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<本文から>
「忍剣! 忍剣!」
呼ぶよりはやく、おうと、そこへあらわれた骨たくましいひとりの若僧がある。若僧は、自綸子にむらさきの袴をつけた十四、五歳の伊那丸を、そこへつれてきて、ひざまずいた。
「この寺へもいよいよ最後の時がきた。お博役のそちは一命にかえても、若君を安らかな地へ、お落としもうしあげねばならぬ」
「はッ」
と、忍剣は奥へとってかえして、鉄の禅杖をこわきにかかえてきた。背には左文次がもたらした武田家の宝物、御旗楯無の櫃をせおって、うら庭づたいに、扇山へとよじのぼっていった。
ワーツとい鬨の声は、もう山門ちかくまで聞えてきた。寺内は、本堂といわず、廻廊といわずうろたえさわぐ人々の声でたちまち修羅となった。白羽黒羽の矢は、疾風のように、バラバラと、庭さきや体腔の障子襖へおちてきた。
「さわぐな、うろたえるな! 大衆は山門におのぼりめされ。わしについて、楼門の上へのぼるがよい」
と快川は、伊那丸の落ちたのを見とどけてから、やおら、払子を衣の袖にいだきながら、恵林寺の楼門へしずかにのぼっていった。
「それ、長老と、ご最期をともにしろ!」
つづいて、一山の僧侶たちは、幼い侍童のものまで、楼門の上にひしひしとつめのぼった。
寄手の軍兵は、山門の下ヘどッとよせてきて、
「一山の者どもは、みな山門へのぼったぞ、下から焼きころして、のちの者の、見せしめとしてくれよう」
と、うずたかく枯れ革をつんで、ぱッと火をはなった。みるまに、渦まく煙は楼門をつつみ、紅蓮の炎は、首千の火寵となって、メラメラともえあがった。
楼上の大衆は、たがいにだきあって、熱苦のさけびをあげて伏しまろんだ。なかにひとり、快川和尚だけは、自若と、椅子にかけて、眉の毛もうごかさず、
「なんの、心頭をしずめれば、火もおのずから涼しい−」
と、一句のことばを、微笑のもとにとなえて、その全身を、焔になぶらせていた。
「おお!伊那丸さま。あれをごらんなされませ。すさまじい火の手があがりましたぞ」
源次郎岳の山道までおちのびてきた忍剣は、はるかな火の海をふりむいて、涙をうかべた。
「国師さまも、あの焔の底で、ご最期になったのであろうか、忍剣よ、わしは悲しい…」
伊那丸は、遠くへ向かって掌を合わせた。空をやく焔は、かれのひとみに、生涯わすれぬものとなるまでやきついた。 |
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