津本陽著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          闇の蛟竜

■佐一郎は季芳の企てに加わる

<本文から>
 ときどき尾を引く吐息を洩らすだけである。佐一郎は、季芳の沈思を妨げないよう、黙っていた。
 小半刻(三十分)もの間、身じろぎもせずにいた季芳が、眼を開いた。佐一郎は、彼の表情が険しい陰を帯びているのを見た。
 「四千五百両の金は、私が貸してあげてもよかよ。じゃっどん、東海さんはその金ばまたじきに失うてしまうに、きまっちょる。あなたも私も、武士じゃきに、商売人とのだましあいにゃ、勝てんど。もう商売は、やめちょきんさい。商売せずに、お家ば分散から逃れさす手だては、ひとつある」
 どんな手だてじゃ、と聞き返すと、季芳は背後の襖を細めに開け、廊下に人気がないのをたしかめたあと、坐り直した。
 「このたび上方へ来たんは、人にゃ云えん訳のあっての事でごわす。私は仲間の者ば、七人連れて来ちょりますが、外に塩飽の長右衛門と申す者と、その子方ばざっと二十人寄って、ある企てをば考えちょります」
 塩飽の長右衛門と聞いただけで、佐一郎には、季芳の用件がただならぬものであると分った。
 長右衛門とは、佐一郎が神戸海軍操練所に学ぷ頃から、塩飽諸島を根城に、瀬戸内の海上を航行する船舶を襲う海賊として船乗りの間では名が知れ渡っていた。
 「私らは、来年正月、松の内の明けぬ内に、政府転覆の軍用金ば手に入れんため、大阪高麗橋の両替商稲田屋へ押し入り申す。稲田屋にゃ、享保小判二万両が蔵にあり申す。いまの金にして二十万両の値打ちじゃ。首尾よく手に入れた上は、ああたに要るだけあげまっしょ。その代り、今日限り吾等の同志になって貰わにゃいけん」
 季芳の眠が、殺人者の眩しい光牽を帯びた。彼の言葉には、大事を打ちあけたうえは、是が非でも佐一邸を一味に加えねばならないという、厳しい気塊がこもっていた。佐一邸は、吾知らず床の上に起き直った。
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■二万両の貴金を盗む

<本文から>
 二人は土蔵の戸締りを元に戻し、用意したぼろ布で廊下の汚れを丁寧に拭き取り、雨戸の枢も落して、入ってきたときと同様に、雪隠から外へ出た。千両箱は、二十箱で充分の収穫であった。そのうえも欲張れば、舟が沈むおそれがあった。一箱ずつ担って縄梯子を降り、すべてを舟に移した。
 無事にたどりついた雲龍居で、佐一郎たちは二万両の慶長小判を、床下に隠した。季芳が神戸へ帆船を雇いに行っている間、佐一郎は脂汗の流れる不安な時間を送った。肌寒い季節であるのに、汗は拭ってもたちまち吹き出し、シャツをしとどに濡らした。
 風が雨戸を揺すると、捕吏が踏みこんでくるのではないかという妄想が湧き立ち、全身をこわばらせて短銑を構える。捕手の縄目を受けるぐらいなら、死ぬほうがましだ、そうであった、死はすべての苦痛を忘れさせてくれると、佐一郎は辛うじて自分を落ちつかせた。
 三日めの夜更けに、雨戸を忍びやかに叩く音が聞えた。耳をつけると、息を殺してささやく季芳の声が聞えた。
「東海さん、季芳じゃ、明けてくんしゃい」
 戸を明けると、出掛けたときと同じ旅姿の季芳が入ってきた。
「和歌山へは今朝着いちょりましたが、日暮れを待って居り申した。船は長右衛門の手の者ば二人乗せて、紀ノ川の川口に隠しておき申した」
「ほんなら、出立はいつや」
「子の刻限あたりには、人も寝静まりまし妻フ。新川の場へ、バッティラ(短艇)をつないでおるけん、積ん込めばよか。ところで、ちと面妖な事のあり申すが」
 季芳はいい淀み、促されると歯並みをこぼして笑った。
 「東海さん、先日の我らの忍び入ったこと、久野の屋敷では、いまだ覚っちょらんごとある」
 え、ほんまかと佐一郎は聞き返した。
 「私は今日の昼中に、久野の門前を追って見ましたと。門番が二人石畳の上で、長閑な顔付きで、欠伸ばしちょり申した。ありゃ、我らが忍び入ったこと、知っちょる面じゃなかど」
 佐一郎は息を詰めたあと、唐突に湧きあがってきたおかしさに、体を折り声をしのんで笑った。
 あと数時間で和歌山を離れ、神戸へ着けば二万両の貴金は二十万両を越す太政官札に交換することができる。真実と思うことのできない魔大な喜悦のかたまりが、佐一邸の腹の底からこみあげてきた。二人で分けるとして十万両もあれば、倭多屋の危機は回避することはもちろん、長崎に戻って織衣を嫁に迎えることもできる。オランダ医学を学び、医者になろうと、佐一郎の胸は沸き立った。
 織衣のいる長崎崇福寺裏手の屋敷町に思いをはせる東海佐一郎は、喜びのあまり土間を転げまわりたかった。
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■追われる季芳と逃走はめになり、和ごやかな暮らしが一変する

<本文から>
「わあっ」
 佐一郎の視野を奔騰する血潮でかげらせ、敵はもたれこんできた。佐一郎は下敷きになって倒れ、噴きでる血を吸いこんで喉がつまった。
 激しくせきこみながら起きあがろうとする佐一郎のぼやけた視野に、近づく人影がうつった。やられる、ととっさに立て膝をつき刀を構えた。
「無事かっ、無事じゃったか」
 駆け寄ってきた人影が季芳であると分ると、佐一郎の体にはりつめていた力が、一気に抜け落ちた。両膝が眼に見えるほど震えるのを押えることもできず、胸を噂がせながら佐一郎は立ちあがった。
 乾ききった喉が痛む。腕の筋肉が木彫りのようにこわばっていた。
「す、季やん、斬られれなんらか」
 かすれ声で無理にいおうとする、佐一邸の舌がもつれた。
 顔じゅうに斑に血の筋を引いた季芳は、うなずいた。
「一人、逃げた。も、申しわけごわはん。東海さんば巻きこんでしもうて、儂はばか者じゃ」
 佐一郎は、瞬間に事態を了解した。もう十人町の家へ戻ることはできない。昨日までの、和やかな暮らしの有様が、のぞきからくりを見るように、光巴を帯びて佐一郎の頭を過ぎった。
「季やん、早よ船出そら。新手の巡査ら来ん間あに、行こら。天草まで一足じゃ、俺もいっしょに行くぞ」
 倒れていた巡査が、か細い坤き声をたて、手足をゆっくりとけいれんさせはじめた。佐一郎はひぎまずき、なまんだぶ、とつぶやきながら、剣尖で巡査の喉を深く刺した。
 血にまみれ、般若のように頭髪を振り乱した二人は、息を切らせて浜へ向って走りだした。空は明るく色づき、晴れあがってきた沖の辺りに、日の出まえの朱色が濃く刷かれていた。
 「織衣、おシゲ。俺はなあ、きっと帰ってくるぞ。待っててくれ」
 東海佐一郎は走りながら、けわしく白馬を走らす沖に向い、祈るように胸にくりかえしていた。
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■別人を名乗って降伏人となる

<本文から>
 東海佐一郎は、汚れた浴衣の襟をくつろげ、遠方から聞えてくるラッパの音色に耳を澄ませていた。官軍新撰旅団のラッパ卒が練習しているのであろう、数人の吹く高低さまざまの音色が、ときに調子を外す。
 青黒い雨雲をつらねた空の下で、一望の稲田が緑の色あいを妙に明るく浮きあがらせていた。
「嵐の前触れのごと見ゆる」
 佐一郎と肩を並べ、鬼芝に覆われた丘に腰を下している、柴という男が静かな口調でつぶやいた。
 丘のなだらかな傾斜の下に、木柵がつらなっていた。背後には、雨戸もなく海風が吹き抜けの薩軍降伏人細島監倉の長屋が粗末な板屋根をつらねていた。二千人を越す薩軍の兵士が、武装を解かれ収容されている。その大半は、八月半ばの延岡の戦に敗れ、日向長井村で官軍の重囲に陥り、降参した諸隊の兵士であった。それから早や二十日ばかりが経った。
 佐一郎は四ツ本季芳が鹿児島湾の船上で官軍に射殺されたとき、闇の海上を泳ぎ辛うじて死地別線迦豹舵御許鹿親鳥滴郊の波の平あたりの海岸へ上陸したあと、谷山郷の薩軍砲隊屯所へ辿りついたのである。
 その後は佐一郎の希望で振武隊から行進隊荷駄掛りに所属を移され、都ノ城、高岡、佐土原、高鍋と転戦し、長井村で遂に降伏した。軍旗を巻き、野に伏せて官軍を迎えた四千に及ぶ薩軍降伏人にまじり、佐一郎はひとつの賭けをしてみる気になっていた。
 彼は官軍の尋問を受けたとき、行進隊兵卒伊東善次郎と名乗った。日向長井まで辿りついたとき、薩軍諸隊の員数は往時の悌をとどめないまでに減少し、互いの顔に馴染みのない混成部隊に変りはてていた。佐一郎が変名したところで、それに気付くほどの者はいなかった。季芳の死後振武隊医師の職へ戻らなかったのは、人目につきやすい立場から逃れる心算からのことであった
 伊東善次郎とは、高鍋の戦で行方不明になった長州士族である。佐一郎は、伊東が仙道で足を踏み滑らし、砲弾を背負ったまま断崖から落ちていったのを見ていた。
 官軍の取調掛りの士官は、彼の陳述をまったく疑わなかった。運のいいことに、彼が割りあてられた長屋には、顔見知りの兵士が一人もいなかった。
 降伏した男たちは「監倉で徒食する日を送るうち、苛酷な野戦の働きで惟博した顔に、いささかの生色を取り戻していた。細島港には官軍運輸局が置かれ、回航してくる汽船が移しい軍需物資を陸揚げする。糧米は連日一万俵を運輸する盛況であった。
 佐一郎たちは日中は海岸での荷役に従ったが、汽船の乗組水夫たちの雑談から、さまざまの情報を洩れ聞くことができた。
 八月十七日深更、長井村の官軍包囲線を被り、可愛嶽を越えた数百の西郷勢が、八月三十一日鹿児島に乱入したという情報も、耳に届いていた。綽尾の一挺とはいえ、西郷の武運が拙く終らないことを、降伏人たちは願っていた。
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■織衣が脳病に犯される

<本文から>
 照が、佐一郎の胸中を汲んだようにいう。母親に会うのを留められている繁子は、ついてはこなかった。
 佐一郎は襁褓の束を手渡され、部屋に残された。臆に照らされた室内は、障子、襖も取り外され、床の間、にも調度は何ひとつなかった。悲しみに心をかき乱されつつ、佐一郎は、織衣の細い手の指を握った。
「織衣、俺や、俺帰ってきたんや。分るやろ、な、俺が来たんや」
 佐一郎は胸迫り、曾て豊かであった織衣の痩せた肩を抱いた。織衣は忍び笑いを洩らし、体を震わせた。
 彼女は七りとめないことを、小声で喋り続ける。それは友達同士の会話のように聞えた。
 「そうでしょう、でもあのときは仕方がなかったのよ。いいえ、そんなことはない。それは私が保証します。でも」
 繊衣は暗い空間に相手がいるように話しかけ、佐一郎に抱かれたまま、平手で人を打つ蓮華な仕草を見せ、ロもとに手を当てて腕然と笑ってみせる。
 「おい、分ってくれ、俺や、佐一郎や」
 織衣を揺さぶると、艶のある流しめにこちらを見るが、正気に戻ることはなかった。
 佐一郎は暗然とした思いで織衣を抱いているしかなかった。精神の病に不意に冒された者は、大抵の場合は不治に終ることを、医者である彼は熟知し七いた。長い年月を座敷牢に幽閉され、やがて荒廃した食を摂ることも忘れてしまう患者には死だけが天から与えられた救済であった。
 織衣は、−時の錯乱ではなく、まちがいなく脳病に冒されていると、佐高は判断した。織衣が治癒することは、おそらくあるまい。
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■晩年に出頭する

<本文から>
 夏が来て、大阪随一の祭礼天神祭りが終ったばかりの七月二十七日の朝、天王寺署に出向いた新聞記者が、署の受付に立っている白髪痩身の老人を目にとめた。老人は、署長に折りいって面談したいと告げていた。受付の巡査が、署長は本日不在であるが、用向きは何かとたずねると、老人は答えず、それでは明日出なおしてくるといい、引返そうとした。
 記者は老人が年頃にはめずらしい洋服姿であるのに興味を引かれた。裕福そうないでたちではあるが、府会、市会の議員らしく権勢を張る物腰でもない。記者は追いすがって名刺を差し出し、何の用で来られたかとたずねた。
 「聞きたいかね」と老人は笑った。彼は記者の名刺を眺め、しばらく考えたあとで答えた。
 「君の新聞社は、大阪では一流やなあ。警察にいう前に、新聞社に話すのも面白かろう。ではこれから私を君の社へ連れて行って、社会部長に会わせてくれ。変った話を聞かせてあげるよ」
 老人は人力車を二台傭い、新聞社へ案内させた。
 新聞社の応接室に落ちつき、社会部長に会うと、老人は悠揚迫らない口調で告げた。
 「私は天王寺で生薬の問屋をしている沢井平吉という者で、出自は奈良郡山の士族ということになってますけど、本名は東海佐一郎というて、昔は大きな盗っ人やった者ですわ。一生を化け通して死のうと思うたんやけど、七十滋過ぎたら死ぬときぐらいは本名になりたいと思うて、警察に届けに行きましたんや」
 記者たちは、老人の口調で彼の過去が数奇なものであると感じた。
 その期待は裏切られなかった。東海と称する老人は、明治四年から十一年にかけての自らの体験を詳細に物語った。社会部長らは話題のうちに引きこまれ、深更までメモをとった。
 翌朝、東海老人は新聞記者につきそわれ、天王寺署に出頭した。噂を聞きつけた各新聞社の記者たちが、駆けつけてきた。署長は老人監昌を聞き、困惑した。東海佐一郎という人物は誇大妄想狂ではないかと考えるが、やむなく調書をとる。事件は明治十一年以前に起したのだから、すべて時効にかかり、老人は実刑を蒙ることはない。犯罪における時効は最長年限は三十年であるから、罰する法律はないわけである。
 署長はいったん事情聴取を終え、老人の述べた犯罪についての記録を調査した。その結果、彼のいうことはすべて事実であったことが判明した。
 東海佐一郎の犯罪については、その後全国の大新聞が報ずるところとなった。佐一郎は天王寺の広大な邸宅に、卯乃という老婦と暮らしている。彼は一人娘の繁子が鹿児島の長尾家を継ぎ、医師を夫に迎えていることを余人に伏せていた。繁子には五人の子女がいる。
 佐一郎についての報道が世間を騒がしたあと、大阪市内の緞帳芝居と称する小芝居の座付作者が、天王寺の邸をたずねてきた。用件は、佐一郎の来歴を芝居に阻みたいというのである。佐一郎はこころよく応じた。
 芝居は驚くべきことに、一カ月の間大入満員を続けた。客は盗みを働く場面の、他に比を見ない迫真力に熱狂した。佐一郎の体験を外題にする芝居が十数カ所にふえ、そのいずれもが大入りの盛況となった。
 佐一郎はその噂を聞き、卯乃に感慨をもらした。
 「本人はあきらめばっかりの人生やったのに、何が面白いのかいな」
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