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<本文から> ときどき尾を引く吐息を洩らすだけである。佐一郎は、季芳の沈思を妨げないよう、黙っていた。
小半刻(三十分)もの間、身じろぎもせずにいた季芳が、眼を開いた。佐一郎は、彼の表情が険しい陰を帯びているのを見た。
「四千五百両の金は、私が貸してあげてもよかよ。じゃっどん、東海さんはその金ばまたじきに失うてしまうに、きまっちょる。あなたも私も、武士じゃきに、商売人とのだましあいにゃ、勝てんど。もう商売は、やめちょきんさい。商売せずに、お家ば分散から逃れさす手だては、ひとつある」
どんな手だてじゃ、と聞き返すと、季芳は背後の襖を細めに開け、廊下に人気がないのをたしかめたあと、坐り直した。
「このたび上方へ来たんは、人にゃ云えん訳のあっての事でごわす。私は仲間の者ば、七人連れて来ちょりますが、外に塩飽の長右衛門と申す者と、その子方ばざっと二十人寄って、ある企てをば考えちょります」
塩飽の長右衛門と聞いただけで、佐一郎には、季芳の用件がただならぬものであると分った。
長右衛門とは、佐一郎が神戸海軍操練所に学ぷ頃から、塩飽諸島を根城に、瀬戸内の海上を航行する船舶を襲う海賊として船乗りの間では名が知れ渡っていた。
「私らは、来年正月、松の内の明けぬ内に、政府転覆の軍用金ば手に入れんため、大阪高麗橋の両替商稲田屋へ押し入り申す。稲田屋にゃ、享保小判二万両が蔵にあり申す。いまの金にして二十万両の値打ちじゃ。首尾よく手に入れた上は、ああたに要るだけあげまっしょ。その代り、今日限り吾等の同志になって貰わにゃいけん」
季芳の眠が、殺人者の眩しい光牽を帯びた。彼の言葉には、大事を打ちあけたうえは、是が非でも佐一邸を一味に加えねばならないという、厳しい気塊がこもっていた。佐一邸は、吾知らず床の上に起き直った。 |
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